日本歴史地名大系 「岩田村」の解説
岩田村
いわたむら
- 京都府:八幡市
- 岩田村
八幡の東南角を占め、東は
岩田村
いわたむら
北は
「中右記」の熊野詣途次を記した天仁二年(一一〇九)一〇月二二日条に「留氏院庄櫟原石田上座清円房」とみえ、中世は勧学院領
岩田村
いわたむら
三輪村の北西に立地する。岩田は
慶長郷帳には村高九八四・五二石。戒重藩(織田有楽長益)領。宝永元年(一七〇四)四代藩主織田長清の時代、藩庁所在地の式上郡
岩田村
いわたむら
- 三重県:津市
- 岩田村
津城下の南を東流する岩田川南岸にある。「和名抄」に「石田郷」があり、「以波多」または「伊波多」と訓ぜられ、その名を受継ぐ。石田郷の郷域は、康永三年(一三四四)の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)によると、
岩田村
いわたむら
若江郡に属し、
岩田村
いわたむら
この岩田を美濃としたのは、「和名抄」記載の大野郡
岩田村
いわたむら
岩田村
いわたむら
南東は
平安時代末期から中世にかけては、
村名は慶長の検地帳などにはみえず、「地下上申」に岩田村と現れる。「注進案」は「当村は美和庄之内ニ而、岩田村と唱候」と記す。また村名の由来を「当村岩戸御立山之内ニ高サ六尺五六寸幅四尺三四寸壱尺余ニ而建屏之様なる石御座候、是を天之岩戸石と申伝へ、依之岩戸村と名付し」という。
「地下上申」によると総石高二千一五二石六斗余、総戸数三〇〇軒、うち一五一軒が本百姓、総人口六二一人。
岩田村
いわたむら
荒川の右岸、
岩田村
いわたむら
岩田村
いわだむら
岩田村
いわたむら
岩田村
いわだむら
岩田村
いわたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報