雲松院(読み)うんしよういん

日本歴史地名大系 「雲松院」の解説

雲松院
うんしよういん

[現在地名]港北区小机町

小机こづくえ集落東南、字愛宕下あたごしたにある。曹洞宗、臥龍山神太寺と号し、本尊虚空蔵菩薩。

開基を小机城主笠原信為、開山を永岳とする。寺伝では、もと神太寺かんだいじ(現神奈川区)に草創されたが、二世順孝のときに当地に移ったという(風土記稿)。享禄二年(一五二九)一二月一三日の笠原信為判物(県史三)によれば「雲昌院」に対し、熊野堂五貫文の地が「早雲寺殿御茶湯為分」として寄進された。永禄四年(一五六一)閏三月二二日の北条氏尭制札(同書)寺内門前での竹木切取を禁じ、横合非分をなした者は笠原平左衛門尉に引渡すことが命ぜられている。元亀三年(一五七二)一一月一日の北条氏尭朱印状(同書)によると、指出検地の結果鳥山とりやまにある当院領の田二町一反余、畠七反余に対して年貢一二貫一五八文が課せられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報