デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青地兼山」の解説 青地兼山 あおち-けんざん 1672-1729* 江戸時代前期-中期の儒者。寛文12年2月2日生まれ。青地礼幹の兄。羽黒養潜,室鳩巣(むろ-きゅうそう)にまなぶ。加賀金沢藩につかえ算用場奉行,定番頭などをつとめた。享保(きょうほう)13年12月25日死去。57歳。名は斉賢。字(あざな)は伯孜。通称は蔵人。別号に譲水。著作に「御定書考索」「仁説」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の青地兼山の言及 【兼山秘策】より …金沢の儒者青地兼山,麗沢兄弟がその師室鳩巣から寄せられた書簡を編んだもので《兼山麗沢秘策》として世上に流布した。1711‐31年(正徳1‐享保16)の書簡を収める。… ※「青地兼山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」