日本歴史地名大系 「青竜寺川」の解説 青竜寺川しようりゆうじがわ 山形県:鶴岡市青竜寺川東田川郡朝日(あさひ)村熊出(くまいで)の赤(あか)川頭首工から取水し、母狩(ほかり)山系の渓流を集めて北上、同郡三川(みかわ)町青山(あおやま)で再び赤川に合流。この間同郡朝日村・櫛引(くしびき)町、鶴岡市、三川町、酒田市袖浦(そでうら)の赤川と大山(おおやま)川に挟まれた五二二七ヘクタールの水田を潤す、全長一九・三キロの庄内最大の灌漑用水路。赤川頭首工完成以前は櫛引町板井(いたい)川で取水していた。川名は上流の行政区画青竜寺組にちなみ、初見は宝暦八年(一七五八)成立の「鶴岡昔雑談」。新町(しんまち)川・番田(ばんで)川・掃部(かもん)川・熊出(くまで)川ともいわれた。青竜寺川という名称が一般化するのは明治以降。嘉永四年(一八五一)の工藤家先祖書上(工藤文書)によれば、最上氏の代官原美濃により水無(みずなし)川から鶴ヶ岡城北方の京田(きようでん)地帯へ水が引かれたが、新田の開発で水不足になったので、本郷(ほんごう)村の土豪工藤掃部が赤川から取水して水路を開削したという。その時期は慶長一四年(一六〇九)頃と推定される。流路は赤川の旧河道と一致するが、田地よりも高い所を通っており、明らかな人工河川である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by