勝部郷(読み)かちべごう

日本歴史地名大系 「勝部郷」の解説

勝部郷
かちべごう

古代の気多けた郡勝部郷(和名抄)を継承する中世郷で、郷域は現青谷あおや町の西半、勝部川(青屋川)流域一帯に比定される。康永三年(一三四四)八月二二日の願文(熊野那智大社文書)に「勝部郷」とみえ、当郷の檀那伊豆法橋らが願文を捧げている。応仁・文明の乱以前、勝部東分は京都大徳院領であったが、同乱の時に幕府御料所となった。その後寺家に還補されて庄主が差下され所務を行っていたが、文明一〇年(一四七八)より垣屋平右衛門尉の押領を受けたため、同一六年一二月九日寺家はこのことを幕府に訴えている(蔭涼軒日録)


勝部郷
かつべごう

和名抄諸本とも訓を欠く。郷名は「かちべ」とよんだとも考えられる。秦氏部民、あるいは勝姓配下の部ともいわれる勝部にかかわる郷名と推定される。現在倉吉市下田中しもたなか町にある勝宿禰かつすくね神社はおそらく当郷の勝部の氏神として祀られたものであろう。


勝部郷
かちべごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。郷名は渡来人系の勝部にかかわるとされ、現青谷あおや町西部の勝部川流域一帯に比定される。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条にみえる「柏尾」駅は当郷内にあったとする説がある。


勝部郷
かつべごう

「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本に記載されないが、東急本・名博本・元和古活字本にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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