日本歴史地名大系 「青近村」の解説 青近村あおぢかむら 広島県:世羅郡甲山町青近村[現在地名]甲山町青近別迫(べつさこ)村の東に位置する南北に細長い村で、北に対峙する男鹿(おじか)山(六三三・八メートル)と女鹿(めじか)山(六二四メートル)の南麓に低地が広がり、その東と西に枝郷安行(やすゆき)谷・久丸(ひさまる)谷があり、南部山中には枝郷瀬近(せぢか)谷がある。別迫村を通る石見路(赤名越)から上下(じようげ)村(現甲奴郡上下町)へ通じる道が村の西から北部へ貫通する。建久元年(一一九〇)六月日付僧鑁阿置文(高野山文書)に、大田(おおた)庄官物田のうち村々別作田の一つとして「青近ノ釜田」とある。大田庄桑原(くわばら)方六郷の一(嘉暦四年四月二三日「六波羅下知状」同文書)。正安三年(一三〇一)六月二一日の備後国大田庄桑原方所務和与状(同文書)によると、青近は伊尾(いお)公文に付属して領家の進退とされ、福富(ふくとみ)公文分と称して公文料を取ることを停止している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by