改訂新版 世界大百科事典 「細川頼春」の意味・わかりやすい解説
細川頼春 (ほそかわよりはる)
生没年:1299-1352(正安1-正平7・文和1)
南北朝時代の武将。公頼の子。通称源九郎。讃岐守,刑部大輔。足利尊氏の挙兵に従い,尊氏の子義詮(よしあきら)を補佐して,兄和氏とともに関東経営にあたる。尊氏が建武政府に反旗を翻すと,これに従い讃岐をはじめ各地で南朝軍と戦った。1336年(延元1・建武3)には尊良親王を越前金崎城に破り,伊予に転戦してこの地の南朝軍を平定し,48年(正平3・貞和4)高師直らとともに楠木正行を四条畷に破った。尊氏と足利直義(ただよし)とが対立した観応の擾乱(じようらん)の際には,はじめ直義方に属したが,のち尊氏につき,侍所頭人となる。1352年足利義詮を助けて北畠顕能,楠木正儀らの南朝軍と京都七条大宮に戦い,敗死した。頼春は射術に堪能であり,また48年10月,直義の求めで高野山金剛三昧院奉納和歌を詠じたほど和歌にもすぐれていた。
執筆者:小林 保夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報