日本大百科全書(ニッポニカ) 「青野原の戦い」の意味・わかりやすい解説
青野原の戦い
あおのがはらのたたかい
1338年(延元3・暦応1)正月28日、西上途中の南朝方北畠顕家(きたばたけあきいえ)の率いる奥州勢が、それを阻止しようとする高師冬(こうのもろふゆ)・師泰(もろやす)、細川頼之(よりゆき)らの室町幕府軍を美濃(みの)青野原(岐阜県大垣市赤坂町)で破った戦い。北畠軍は『太平記』に50万騎、『難太平記』に30万騎とあるが、北条時行(ときゆき)の率いる北条氏残党も加わっており、幕府軍は数的にもはるかに劣勢だったらしい。北畠軍は師冬と美濃守護土岐頼遠(ときよりとお)が布陣した青野原に騎馬突撃して、これを破った。しかし北畠軍は、黒地(くろじ)川東岸の師泰、細川頼之の陣に迫ることなく、また幕府軍の恐れていた越前(えちぜん)(福井県)から京都に迫ろうとしていた新田義貞(にったよしさだ)軍との合流もせず、伊勢(いせ)路に転進してしまった。この結果、幕府軍は以後の戦局を有利に展開するに至った。
[奥富敬之]