青鳥城跡(読み)おおどりじようあと

日本歴史地名大系 「青鳥城跡」の解説

青鳥城跡
おおどりじようあと

[現在地名]東松山市石橋

比企丘陵の南部、東松山台地上にあり、同台地の高低差を利用して築かれている。「風土記稿」は城主を青鳥判官藤原恒義とするが、確証はない。永享一二年(一四四〇)の結城合戦に出陣する前関東管領上杉憲実は、「野本・唐子に逗留」したという(鎌倉大草紙)。当地は野本のもと唐子からこの間にあるから当城に逗留した可能性がある。文明一〇年(一四七八)七月、扇谷上杉定正を迎えるために河越城を立った太田道灌は、同月一三日、青鳥に寄陣したという(同一二年一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む