青鳥城跡(読み)おおどりじようあと

日本歴史地名大系 「青鳥城跡」の解説

青鳥城跡
おおどりじようあと

[現在地名]東松山市石橋

比企丘陵の南部、東松山台地上にあり、同台地の高低差を利用して築かれている。「風土記稿」は城主を青鳥判官藤原恒義とするが、確証はない。永享一二年(一四四〇)の結城合戦に出陣する前関東管領上杉憲実は、「野本・唐子に逗留」したという(鎌倉大草紙)。当地は野本のもと唐子からこの間にあるから当城に逗留した可能性がある。文明一〇年(一四七八)七月、扇谷上杉定正を迎えるために河越城を立った太田道灌は、同月一三日、青鳥に寄陣したという(同一二年一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む