青龍社(読み)せいりゅうしゃ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「青龍社」の意味・わかりやすい解説

青龍社
せいりゅうしゃ

日本画団体。1928年(昭和3)9月日本美術院を脱退した川端龍子(りゅうし)が、民衆のための美術として会場芸術と健剛なる芸術の樹立を主唱し、翌29年6月に主宰、同年9月第1回展を開催した。初め龍子およびその塾員の制作発表機関としたが、33年より公募展形式を採用。春秋2回の展覧会を開き、戦時体制下にも活動を続けたが、龍子の死去した66年(昭和41)その遺志により解散した。その間、帝展(新文展―日展)、院展と肩を並べる日本画壇の一大勢力に成長し、のちに脱退した落合朗風(ろうふう)、横山操(みさお)らの異色作家を世に送った。

[佐伯英里子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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