コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

静賢 じょうけん

2件 の用語解説(静賢の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

静賢 じょうけん

1124-? 平安後期-鎌倉時代の僧,歌人。
天治(てんじ)元年生まれ。藤原通憲(みちのり)(信西(しんぜい))の子。天台宗。京都の法勝寺(ほっしょうじ)執行(しゅぎょう)。平治の乱では一時丹波に流される。後白河法皇に近侍し,源義仲,平宗盛らとの交渉にあたった。歌は「千載(せんざい)和歌集」などに収録されている。建仁(けんにん)元年(1201)以降の活動は不明。法名は静憲ともかく。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

静賢

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:天治1(1124)
平安末期・鎌倉初期の僧。静憲とも書く。藤原通憲(信西)と高階重仲の娘の子。幼時より仏門に入っていたがいわゆる学僧ではなく,後白河院に親近し,法勝寺執行を勤め,政界と常にかかわりを持ち続けていた。平治の乱(1159)で父信西に連座,配流されたが間もなく召還。その後は院と平家の対立,源平争乱のただなかにあって,院の使者として各勢力と折衝。後白河院がこの激動の渦中を生き残り,再び権力を掌握するために不可欠な,いわば懐刀的な人物であったといえよう。一方,文化面でも画事に関心を持ち,和歌にも優れており,『千載和歌集』に6首入集。建仁1(1201)年ごろまで足跡がみえるが没年は不詳である。なお,『愚管抄』には鹿ケ谷の山荘は静賢のものであったとある。<参考文献>目崎徳衛『出家遁世』

(木村真美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

静賢の関連キーワード郢曲栄西餓鬼草紙随兵六家集裹頭衆城南寺祭明珍海人の刈藻源仲兼

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

静賢の関連情報