鞆田荘(読み)ともたのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「鞆田荘」の意味・わかりやすい解説

鞆田荘 (ともたのしょう)

伊賀北部の山間,鞆田川流域に所在した荘園。元来湯船荘内の荒野が開発されてできた村とみられるが,11世紀中葉住人らの東大寺領玉滝杣寄人化にともない,同杣の内に組み込まれた。11世紀後半には伊勢平氏の勢力が浸透,1097年(承徳1)平正盛寄進にもとづき,村内の畠・家地15町余が六条院領として立券され,これ以降,周辺住人の組織化を進め荘域の拡大をはかった平氏と,寺領だと主張する東大寺との間で相論が続く。この争いも平氏の没落により終止符が打たれ,まもなく後白河法皇と源頼朝によって東大寺の領有が認められた。平家没官領であったため地頭が置かれたが,東大寺のたびたびの要請で停止され,公領の回復をはかる国衙や,院領の返還を要求する六条院との相論を乗り切った鎌倉前期には,東大寺尊勝院領として一円的支配が確立した。南北朝期には服部持法らの北伊賀悪党の押領が続き,しだいに退転していったようである。
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