日本歴史地名大系 「須ヶ谷村」の解説 須ヶ谷村すかたにむら 愛知県:中島郡平和町須ヶ谷村[現在地名]平和町須ヶ谷村の東と西から南流する二筋の落水路が村南で合流し、その内側に村がある。「尾張志」では須賀谷村と記す。東は三宅(みやけ)村、井堀(いぼり)村(現稲沢市)、南は三宅村・法立(ほうりゆう)村、西は鷲尾(わしお)村である。「尾張国地名考」に「老農の人に今もスカタリと呼ものおほし(中略)古言に谷を多理といへば也」「儀長、須ケ谷、鷲尾は旧の総名を須賀垂(たり)といひしなるべし」と記している。 須ヶ谷村すがやむら 埼玉県:上尾市須ヶ谷村[現在地名]上尾市須ヶ谷一―三丁目・須ヶ谷・菅谷(すがや)一―六丁目・平塚(ひらつか)一―二丁目原市(はらいち)沼から北上する低地を挟んで菅谷村の東にある。足立郡大谷(おおや)領に属する(風土記稿)。菅谷村同様、かつて桶川郷の内であったらしく、天正一八年(一五九〇)から旗本西尾領となったとみられる。当村を東谷(ひがしや)村、菅谷村を西谷村と称したといわれ(同書)、現存する延享七年(一七四五)書写の寛永七年(一六三〇)の岩付領東谷村検地帳(加藤家文書)がある。岩槻藩領で、高六七石余(田四石余・畑屋敷とも六三石余)、反別一四町四反余(田七反余・畑方一三町七反余)、屋敷持一〇人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by