須賀谷村(読み)すがたにむら

日本歴史地名大系 「須賀谷村」の解説

須賀谷村
すがたにむら

[現在地名]浅井町須賀谷

田川たがわ村の北、小谷おだに(現湖北町)南東に位置。巣谷村・菅谷村とも記した。「輿地志略」によれば浅井久政が小谷城築城にあたって家士片桐氏の屋敷地とし、以後も同氏が代々住んだといい、享保(一七一六―三六)の頃にも同家には追手城門の扉が残っていたという。片桐且元(市正)の出生地として知られ、村名は孫右衛門(且元の父)が小谷城京極丸の東谷に鷹が巣をかけたことにちなんでつけたとされ(同書)、年未詳八月の彦根藩触書(片桐文書)によれば、小谷山は彦根藩の鷹狩場で、当村片桐市左衛門(孝則)・市右衛門(貞房)親子が鷹匠を務めたことが知られる。


須賀谷村
すがやむら

[現在地名]夷隅町須賀谷

能実のうじつ村の北に位置する。北西日の子ひのこ坂は万喜まんぎ城の武田氏と庁南ちようなん(現長南町)の土岐氏との合戦場と伝える。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に浜ヶ谷村(高一千四〇石)とあるのが当村であろう。正保国絵図には須ヶ谷と記され、高一千一一一石。元禄郷帳でも同高。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数一七九、上野国吉井藩領と旗本阿部・中根・花房領。なお吉井藩領となるのは延宝二年(一六七四)とみられる(寛政重修諸家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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