須野谷村(読み)すのたにむら

日本歴史地名大系 「須野谷村」の解説

須野谷村
すのたにむら

[現在地名]竹野町須野谷

門谷もんだに村の南、竹野川上流域に位置する。天保七年(一八三六)までの領主変遷宇日うひ村に同じ。以後幕府領幕末に至る。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に「次野谷」とみえ、高六六石余。元禄九年(一六九六)の但州村々法度五人組帳(冨森家文書)でも同高。宝永三年(一七〇六)の村明細帳(富森家文書)でも高に変化はない。「桑・楮・漆・蚕少々御座候」「紙漉二人但シ一一月より翌年二月迄少々下紙仕候」とあり、家数一六・人数九八、牛一一。三宝さんぼう荒神熊野権現(現熊野神社)・八大荒神がある。谷奥に枝村がある。元文四年(一七三九)の家数人数其外書上帳(細田家文書)によると家数二一・人数一一八、社一、牛八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む