朝日日本歴史人物事典 「頼慶」の解説
頼慶
生年:永禄5(1562)
江戸初期の真言宗の学僧。紀州有田(和歌山県有田市)の出身。幼少にして出家。各地に師を求めて顕密両教を学び,さらに高野山に登って密教を修学した。慶長6(1601)年浄土宗の貞安を論破(安慶問答)。慶長13(1608)年遍照光院を継承するに際し,学侶(学問僧)の総帥として権力のあった快正と対立。徳川家康面前の対決で勝利し,その帰依を受ける。以後,幕府の意を汲みつつ,高野山学侶勢力の頂点にあって,行人(雑役僧や山岳信仰の徒)勢力を排斥すべく,彼らの無学ぶりを槍玉に挙げて古義真言寺院に勧学運動を展開。また聖たちを時宗から真言宗へと回帰させた。一時は古義諸大寺を統括する強大な権力を掌握したが,急進的かつ独裁的な手法が反発を買って失脚し伊豆走湯山に退去,まもなく没した。頼慶の行動は純粋な学問振興か政治的野心か,評価は一定しない。<著作>『理趣経鈔』『遮表深義鈔』<参考文献>松長有慶『密教の歴史』
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報