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頼慶 らいけい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

頼慶 らいけい

1562-1610 織豊-江戸時代前期の僧。
永禄(えいろく)5年生まれ。真言宗高野山遍照光院の良尊にまなぶ。浄土宗の貞安と問答して論破し名をあげる徳川家康の信任をえて高野山,東寺など古義真言諸山の改革をすすめるが,反発をかい失脚した。慶長15年10月14日死去。49歳。紀伊(きい)有田(和歌山県)出身。字(あざな)は宥賢。著作に「理趣経仮名抄」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

頼慶

没年:慶長15.10.14(1610.11.29)
生年:永禄5(1562)
江戸初期の真言宗の学僧。紀州有田(和歌山県有田市)の出身。幼少にして出家。各地に師を求めて顕密両教を学び,さらに高野山に登って密教を修学した。慶長6(1601)年浄土宗の貞安を論破(安慶問答)。慶長13(1608)年遍照光院を継承するに際し,学侶(学問僧)の総帥として権力のあった快正と対立。徳川家康面前の対決で勝利し,その帰依を受ける。以後,幕府の意を汲みつつ,高野山学侶勢力の頂点にあって,行人(雑役僧や山岳信仰の徒)勢力を排斥すべく,彼らの無学ぶりを槍玉に挙げて古義真言寺院に勧学運動を展開。また聖たちを時宗から真言宗へと回帰させた。一時は古義諸大寺を統括する強大な権力を掌握したが,急進的かつ独裁的な手法が反発を買って失脚し伊豆走湯山に退去,まもなく没した。頼慶の行動は純粋な学問振興か政治的野心か,評価は一定しない。<著作>『理趣経鈔』『遮表深義鈔』<参考文献>松長有慶『密教の歴史』

(正木晃)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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