朝日日本歴史人物事典 「頼梨影」の解説
頼梨影
生年:寛政9(1797)
江戸後期の儒学者頼山陽の妻。彦根の疋田藤右衛門の娘。里恵,梨枝とも書く。12歳のころから京都の蘭医小石元瑞の家で下女奉公中,元瑞と懇意の山陽の目にとまり,元瑞の養女として山陽の妾妻となる。梨影18歳,山陽35歳のころであった。最初は,学者の妻としては教養はなく,また容色もすぐれない女中妻的な存在であったが,男子を出産したこと,働き者で向上心があったことから山陽の愛妻となった。ついには,山陽が山水画を描き,梨影は蘭を画く夫婦になったという。山陽の死後,36歳の梨影は,3人の遺児を成人させるために「鬼のやうになり候て」奮闘,その行状は女子の亀鑑とされ,弘化3(1846)年京都町奉行の褒賞を受けた。子供は儒学者頼支峰と勤皇の志士頼三樹三郎。娘は夭死した。墓は山陽と同じ京都東山の長楽寺。<参考文献>坂本辰之助『頼山陽』,寺田貞次『京都名家墳墓録』上,中村真一郎『頼山陽とその時代』
(栗原弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報