飯森村(読み)いいもりむら

日本歴史地名大系 「飯森村」の解説

飯森村
いいもりむら

[現在地名]白馬村大字神城かみしろ 飯森

姫川ひめがわ盆地のほぼ中央、姫川左岸の一夜いちや山北麓に位置する。

飯森村の発生は古く、建久元年(一一九〇)一二月の某下文(新見文書)の中に「六条院御領信乃国千国御庄内於他里・飯守所」とあるその飯守が村名飯森の初見である。この文書によれば、姫川盆地全域すなわち現白馬村が千国ちくに庄の南半部分であり、近世の飯森村に荘園の政所があったことが知られ、飯森村が古くから姫川盆地の中心であったことを示している。


飯森村
いいのもりむら

[現在地名]男鹿市脇本富永わきもととみなが いいもり

男鹿半島の南頸部、寒風かんぷう山の東山麓に位置し、東に八郎潟へ続く低湿な水田地帯が開ける。南から北へ男鹿街道が通り、南は大倉おおくら村、北は浦田うらだ村と接する。

延応元年(一二三九)沙弥公蓮譲状案(肥前小鹿島文書)に「をかのしまのうち井のもり」とある。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に飯之森村として六八三石五升二合、文禄三年(一五九四)の小鹿嶋之内知行方帳(秋田藩家蔵文書)には飯森村として七八三石八斗九合とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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