飯江村(読み)はえむら

日本歴史地名大系 「飯江村」の解説

飯江村
はえむら

[現在地名]高田町飯江・舞鶴まいづる

うら村の東、飯江川上流左岸域一帯にある。三池郡に属する。飯得とも記される。対岸山門やまと郡の飯江村。同村とともに中世には太宰府天満宮(安楽寺)飯得はえ庄に含まれた。室町期の大鳥居知行所領注文(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)によれば、「得飯」庄内には「賀江方知行 両名十二丁阿佐古方田尻方知行」とあり、田尻氏の知行地があった。しかし田尻氏の飯江知行が確認されるのは永正年間(一五〇四―二一)からで、同五年一一月三日の田尻中務少輔(治種)宛大友義長袖判知行坪付(田尻家文書/佐賀県史料集成七)山門郡の「波江」六町がみえる。


飯江村
はえむら

[現在地名]高田町飯江

飯江川上流右岸にあり、山門やまと郡に属する。対岸は三池郡飯江村、西は山門飯尾いいのお村。飯得とも記される。三池郡飯江村とともに中世には太宰府天満宮(安楽寺)飯得はえ庄に含まれた。天正一五年(一五八七)一〇月一三日、立花統虎は「飯得・飯尾村」一二町を水田みずた天満宮(現筑後市)へ寄進した(「立花統虎坪付」水田天満宮文書)。文禄四年(一五九五)の知行方目録には飯得村とみえ、高二五〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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