デジタル大辞泉 「飯田徳治」の意味・読み・例文・類語 いいだ‐とくじ〔いひだトクヂ〕【飯田徳治】 [1924~2000]プロ野球選手・監督。神奈川の生まれ。昭和22年(1947)南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。一塁手として、また、打点王を二度獲得するなど打撃でも活躍し、1246試合連続出場を記録。引退後はサンケイ・南海の監督を務めた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「飯田徳治」の解説 飯田 徳治イイダ トクジ 昭和期のプロ野球選手 生年大正13(1924)年4月6日 没年平成12(2000)年6月19日 出身地神奈川県横浜市 学歴〔年〕浅野中(旧制)卒 主な受賞名〔年〕文部省スポーツ功労者〔平成7年〕 経歴浅野中から東京鉄道管理局に入り、昭和22年投手として南海に入団。すぐに一塁手に転向。26、27年と連続打点王となり、26〜28年パリーグ3連覇の中心選手として活躍。30年にはMVPを獲得。足も速く27〜32年6年連続40盗塁以上を記録。32年国鉄(現・ヤクルト)に移籍。33年アキレス腱を切るまで1246試合連続出場記録を持つ。38年現役引退後は41年産経、44年南海の監督を務めた。56年殿堂入り。実働17年、1965試合、6970打数1978安打、183本塁打、969打点、打率.284。ベストナイン5回。のち横浜で喫茶店を経営。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯田徳治」の解説 飯田徳治 いいだ-とくじ 1924-2000 昭和時代後期のプロ野球選手,監督。大正13年4月6日生まれ。東京鉄道局をへて,昭和22年南海に入団。一塁手として蔭山和夫らと「100万ドルの内野陣」をつくり,打点王2回。32年国鉄に移籍し,盗塁王。23年から33年にかけ1246試合連続出場。実働17年,通算1978安打,2割8分4厘,183本塁打。産経,南海の監督をつとめた。56年野球殿堂入り。平成12年6月19日死去。76歳。神奈川県出身。浅野中学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「飯田徳治」の解説 飯田 徳治 (いいだ とくじ) 生年月日:1924年4月6日昭和時代のプロ野球選手2000年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by