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神奈川(読み)かながわ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

神奈川
かながわ

神奈川県東部,横浜市,神奈川区南部の地区。戦国時代神奈川湊が開かれ,江戸時代には東海道の宿駅でもあった。嘉永7 (1854) 年日米和親条約が結ばれた地で,開港場に予定されていたが,のち横浜港に変更された。大正期から地先が埋立てられて重工業地域となったため,現在は JR東海道本線,国道1号線に沿う住宅,工場の密集地となっている。

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百科事典マイペディアの解説

神奈川【かながわ】

武蔵国橘樹(たちばな)郡内,現神奈川県横浜市神奈川区南部海浜部にあった,湊および東海道の宿駅。鎌倉時代中期には神奈河郷は鶴岡八幡宮領で,1266年北条時宗により役夫工米が免除されている。1378年から3年間は神奈河湊出入りの船の帆別銭(帆1反につき300文)が,円覚寺仏日庵造営費用として寄進された。以後も帆別銭の納入は続き,1394年にはほぼ毎月10貫文が納められており,湊の規模は相当大きかったと考えられる。1395年には神奈河郷は上杉憲定に安堵されており,《小田原衆所領役帳》にも神奈川の地名がみえる。神奈川は小田原北条氏支配時からの宿駅であったが,1601年東海道の宿駅に指定された。当初は神奈川町のみで継立を行ったが,のち西の青木町が加わり神奈川宿を構成した。《宿村大概帳》によれば,東の川崎宿までの距離は2里半,西の保土ヶ谷宿までは1里9町。本陣は神奈川町と青木町のそれぞれに,問屋場は神奈川町に置かれた。1803年には旅籠屋64軒を数える。1725年には助郷村34村・助郷高1万1139石となっている。人馬継立役の負担は過重でしばしば軽減願いが出されていたが,とくに幕末のペリー来航以降増大した。 神奈川は江戸湾と武蔵・相模の内陸諸村を結ぶ,交通・商業の中継点でもあった。青木町前面の神奈川湊には諸国の船が停泊,1791年には廻船問屋10軒と仲買12軒があった。また江戸時代中期以降は,江戸や房総方面からの富士山大山への参詣客や,三浦半島方面から江戸へ向かう人々の上陸地としてにぎわい,旅籠屋も増加,神奈川宿の繁盛をもたらしている。1854年のペリー再来航の際には一行の応接場が神奈川に置かれて,幕府との交渉の第一線となった。この間黒船は神奈川湊沖に約2ヵ月間停泊していた。1858年日米修好通商条約が結ばれて翌1859年開港実施,開港場は神奈川と決まったが,幕府は交通の要地である神奈川を避け,横浜を開港場とした。開港後しばらくは各国の領事館が神奈川宿内の寺院に置かれていたが,1861年までにすべて横浜町に移った。1872年の伝馬所廃止により宿駅としての機能は衰え,商業の中心も次第に横浜町へ移った。1889年旧神奈川宿を中心に神奈川町が成立,1901年横浜市に編入され,1927年神奈川区が成立した。
→関連項目東海道

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世界大百科事典 第2版の解説

かながわ【神奈川】

相模国(神奈川県)の湊,宿場町。《鶴岡八幡宮文書》所収の文永3年(1266)5月2日北条時宗下文に,同宮領神奈河郷とあるのが初出とされる。南北朝時代には神奈河浦出入りの船から帆別銭を徴収しており,円覚寺仏日庵造営費として寄付されたり,武蔵金沢称名寺に納められたりした。1395年(応永2)神奈河郷は上杉憲定に安堵され,後北条氏の時代には奉行人宗甫が8貫500文,南条馬寄矢野彦六が100貫文の役高を神奈川にもっていた。

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大辞林 第三版の解説

かながわ【神奈川】

関東地方南西部の県。かつての相模さがみ国の全域と武蔵むさし国の一部を占める。東は東京湾、南は相模湾に面し、東部は多摩丘陵、中部は相模原台地、西部は丹沢山地・箱根山となる。南東部に三浦半島が突出。県庁所在地、横浜市。
横浜市神奈川区の旧町名。もと東海道の宿駅で、幕末の開港場の一。神奈川条約締結の地。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神奈川
かながわ

横浜市神奈川区の中心地区、および区名。旧神奈川町。東海道本線、JR京浜東北線、横浜線、京浜急行電鉄本線、国道1号(第二京浜)、15号(第一京浜)、首都高速道路など日本の陸上交通諸幹線が通る。地形上は多摩(たま)丘陵の南東脚部の東京湾岸低地が基幹で、南東には大正時代以後数次にわたる埋立地が続く。このあたりは南北朝時代からにぎわった神奈川湊(みなと)の地で、江戸初期に東海道の宿場に定められ、海道筋に加えて内陸部と東京湾岸諸浦にわたる広域を後背地として、陸海交通の要地としてにぎわっていた。幕末の開港(1859)にあたっては、神奈川奉行(ぶぎょう)所が設けられて行政中心地ともなった。開港当初にはアメリカ(本覚(ほんがく)寺)、イギリス(浄滝(じょうりゅう)寺)、フランス(慶運寺)、オランダ(長延寺)の諸領事館や外国人宣教師の宿舎(成仏寺)が設けられた。こうして神奈川地区は横浜港地区(中区)とともに、開国史跡の多いことで知られる。また、浜は古くから荒波にもめげず出漁した「勇みはだの神奈川」で知られていた。しかしいまはまったくその姿を消して、広く埋立地、山内、千若(ちわか)、瑞穂(みずほ)、新浦島(しんうらしま)、出田(いづた)などが連なり、市場や貿易埠頭(ふとう)、工場街とその専用埠頭(工業港)となり、京浜工業地帯に重要な役割(重化学と石油の工業が主)を果たしている。[浅香幸雄]

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