養久山墳墓群(読み)やくやまふんぼぐん

日本歴史地名大系 「養久山墳墓群」の解説

養久山墳墓群
やくやまふんぼぐん

[現在地名]揖保川町養久半田など

揖保川右岸の標高約九〇メートルの独立丘陵上に立地する。養久山は全長二キロ程度の丘陵で、東端は揖保川に接し、西側は鳥坂とつさか峠を越えて龍子三りゆうこみづか古墳(龍野市)の立地する龍子山塊に続いている。弥生時代から古墳時代にかけて築かれていることから、養久山古墳群と呼称する場合も多い。弥生時代後期後半を中心に弥生時代中期から古墳時代初頭にかけて形成された墳墓群と、古墳時代後期の木棺直葬墳や横穴式石室墳が含まれる。昭和四二年(一九六七)に第一次・第二次の発掘調査、翌四三年に第三次・第四次の発掘調査が行われている。この調査で一号墳(前方後円墳)・二号墓(方形か)・五号墓(双方中方形)・一二号墓(方形)・三二号墓(方形)の五基が発掘された。また緊急調査として昭和五七―五八年に四〇号―四三号墓の発掘調査が行われている。さらに平成三年(一九九一)には六号墓・四一地点・四三地点の発掘調査が行われた。養久山山塊の尾根上には現在四五ヵ所で墳墓・古墳が確認されている。そのうち明らかに前期古墳と思われるのは一号墳・一八号墳・四二号墳で、後期古墳は一九号墳・三四号墳・四一号墳・四三号墳の四基で、残りは弥生時代の墳墓群である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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