香取繁右衛門(読み)かんどり・しげえもん

朝日日本歴史人物事典 「香取繁右衛門」の解説

香取繁右衛門

没年:明治22.7.22(1889)
生年:文政6.6.2(1823.7.9)
金光教教祖川手文治郎実弟。香取金光教の教祖。備中国浅口郡占見村(岡山県金光町)の農民香取十平の3男として生まれる。流行神化していた金神信仰を祈祷していた堅盤谷の小野はる(うた)と出会い入信,安政4(1857)年には自身の病気契機として金神の神がかり状態になり開悟方位,日柄の祟り神としての金神の神性を保持しつつも,農民生活の全般にかかわる金神の言葉を語るようになった。この直後に実兄川手も入信,のちに川手が金光教を開く直接的契機を与えた。香取金光教は現在も信仰を伝えているが,金光教と直接的関係はない。<参考文献>須田美照『香取金光教由来記』,真鍋司郎「民衆救済の論理」(『金光教学』13号)

(桂島宣弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香取繁右衛門」の解説

香取繁右衛門 かんどり-しげえもん

1823-1889 幕末-明治時代宗教家
文政6年6月2日生まれ。金神(こんじん)を信仰。安政4年(1857)病気を契機に神がかりとなり,金神のお告げをきく。明治7年金光院(現香取金光教)をひらいた。兄の川手文治郎も信者となり,のち兄が金光教をひらくきっかけをつくった。明治22年7月22日死去。67歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身

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