川手文治郎

山川 日本史小辞典 改訂新版 「川手文治郎」の解説

川手文治郎
かわてぶんじろう

1814.8.16~83.10.10

幕末~明治期の宗教家教派神道一派である金光(こんこう)教の教祖。旧姓香取(かんどり),のち赤沢を名のる。生神金光大神(いきがみこんこうだいじん)と称する。備中国生れ。1855年(安政2)喉の重病にかかり,以後,元来陰陽師の暦神で俗信ではたたり神だった金神(こんじん)を守り神の天地金乃神(てんちかねのかみ)として信仰するようになり,59年10月21日に立教する。68年(明治元)に生神金光大神の神号を得る。戸長による布教差止めなど妨害をうけたが,現実生活に即した教えで農民層を中心に信者を獲得した。

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改訂新版 世界大百科事典 「川手文治郎」の意味・わかりやすい解説

川手文治郎 (かわてぶんじろう)

金光大神(こんこうだいじん)

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367日誕生日大事典 「川手文治郎」の解説

川手 文治郎 (かわて ぶんじろう)

生年月日:1814年8月16日
江戸時代;明治時代の宗教家。金光教教祖
1883年没

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川手文治郎」の意味・わかりやすい解説

川手文治郎
かわてぶんじろう

赤沢文治」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の川手文治郎の言及

【金光教】より

…教派神道の一派。1859年(安政6)10月21日に金光大神(川手文治郎)が〈立教神伝〉によって開教したもので,1900年6月に政府から独立を公認された。金光大神が説く天地金乃神は,祟り神としての金神ではなく,大地の神,愛の神であり,天地の祖神,日本さらに世界の総氏神とされる最高神的な救済神としての性格をおびている。…

【金光大神】より

金光教の創唱者(戸籍上は金光大陣と改名を強要された)。幼名は源七,川手家の養子となり文治郎,通称文治,のち赤沢姓,金光姓。備中国浅口郡占見村の農民香取十平・しもの5男3女の次男。1825年(文政8)隣村の大谷村(現,岡山県浅口郡金光町)の没落自作農川手粂治郎の養子となる。幕府天文方渋川景祐の門人で陰陽頭土御門家の直門であった同村庄屋小野光右衛門に手習いをならい,36年(天保7)に家督を継ぎ,農事に精励,家産を回復した。…

【金神】より

…金神の祟りについては,西日本を中心に修験者や祈禱師によってその信仰が広められ,家造りにあたって金神の留まる方位に呪符を埋める〈金神除け〉や,稲荷などの社にまつりこめる〈金神封じ〉が行われた。こうした信仰の強い岡山県地方に,幕末期に生まれた赤沢文治(川手文治郎,のち金光大神)は,1855年(安政2),42歳の厄年の大患を契機として,日柄・方位にかかわる祟り神としての金神を,大地の神としてとらえ直す宗教的自覚に達し,〈実意丁寧神信心〉という篤実な生き方を説く金光(こんこう)教を創唱した。その根本神は,天地金乃神と呼ばれている。…

※「川手文治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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