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川手文治郎 かわて ぶんじろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川手文治郎 かわて-ぶんじろう

金光大神(こんこう-だいじん)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

川手文治郎

没年:明治16.10.10(1883)
生年:文化11.8.16(1814.9.29)
明治初期の宗教家,金光教の教祖。備中国浅口郡占見村(岡山県浅口郡金光町)に農民の香取十平と志もの次男として生まれる。川手家の養子となり,川手文治郎と名を改め,養父の遺言により,赤沢に改姓し,のちには文治と改める。安政2(1855)年,42歳のとき,喉の病気にかかり,平癒の祈祷が行われ,家の新築,移転による金神(元来陰陽家が祭った暦神)に対する無礼が病気の原因だとする託宣が下った。同4年,金神を祭る実弟香取繁右衛門のもとに通うようになり,体調を崩した妊娠中の妻が金神のおかげで治り,金神への信心を深める。翌年には,神の知らせを受けるようになり,「金神の一乃弟子」として「文治大明神」と名乗るように命じられた。同6年に,家業をやめ,神の言葉の取り次ぎへの専念を命じられ,以後,24年間にわたり,家を広前(神殿)として神前に座り続けて,神の教えを伝えた。 明治1(1868)年,神号が「生神金光大神」と改められ,自ら生き神としての自覚を深化させた。金神を民間信仰の呪術的な祟り神から,「天地金乃神」という天地の親神,人間の救済神へと発展させ,日柄方位,禁忌,呪 いではなく,真心からの神への信心(「実意丁寧神信心」)によって神の助けを受けることができ,「氏子あっての神,神あっての氏子」だと説いた。明治に入り,維新政府の宗教政策のもとで,神前の施設を撤去するよう命じられる困難な状況に遭遇し,同6年,一時広前を辞し,神命のままに生まれ変わりの体験をして,「生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい」という教えの根本を示した「天地書附」を与えられた。金光教は黒住教,天理教と並んで,生き神としての教祖の教えを教典として布教活動を展開した創唱宗教である。<著作>『金光大神御覚書』<参考文献>瀬戸美喜雄『金光教祖の生涯』

(川村邦光)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

かわてぶんじろう【川手文治郎】

1814~1883) 宗教家。金光教教祖。岡山県生まれ。金神を信仰するうちに神命を受けて開教。自ら金光大神と名乗り、最高神天地金乃神の教えを信者に取り次いだ。改名して赤沢文治とも。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川手文治郎
かわてぶんじろう

赤沢文治」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川手文治郎
かわてぶんじろう

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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世界大百科事典内の川手文治郎の言及

【金光教】より

…教派神道の一派。1859年(安政6)10月21日に金光大神(川手文治郎)が〈立教神伝〉によって開教したもので,1900年6月に政府から独立を公認された。金光大神が説く天地金乃神は,祟り神としての金神ではなく,大地の神,愛の神であり,天地の祖神,日本さらに世界の総氏神とされる最高神的な救済神としての性格をおびている。…

【金光大神】より

金光教の創唱者(戸籍上は金光大陣と改名を強要された)。幼名は源七,川手家の養子となり文治郎,通称文治,のち赤沢姓,金光姓。備中国浅口郡占見村の農民香取十平・しもの5男3女の次男。1825年(文政8)隣村の大谷村(現,岡山県浅口郡金光町)の没落自作農川手粂治郎の養子となる。幕府天文方渋川景祐の門人で陰陽頭土御門家の直門であった同村庄屋小野光右衛門に手習いをならい,36年(天保7)に家督を継ぎ,農事に精励,家産を回復した。…

【金神】より

…金神の祟りについては,西日本を中心に修験者や祈禱師によってその信仰が広められ,家造りにあたって金神の留まる方位に呪符を埋める〈金神除け〉や,稲荷などの社にまつりこめる〈金神封じ〉が行われた。こうした信仰の強い岡山県地方に,幕末期に生まれた赤沢文治(川手文治郎,のち金光大神)は,1855年(安政2),42歳の厄年の大患を契機として,日柄・方位にかかわる祟り神としての金神を,大地の神としてとらえ直す宗教的自覚に達し,〈実意丁寧神信心〉という篤実な生き方を説く金光(こんこう)教を創唱した。その根本神は,天地金乃神と呼ばれている。…

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