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馨子内親王 けいしないしんのう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

馨子内親王 けいしないしんのう

1029-1093 平安時代中期-後期,後一条天皇の第2皇女。
長元2年2月2日生まれ。母は藤原威子(いし)。永承6年(1051)尊仁(たかひと)親王(後三条天皇)の妃となり,延久元年(1069)中宮。5年後三条天皇の出家とともに尼となったが後宮にのこり,6年皇后。西院皇后とよばれた。寛治(かんじ)7年9月4日死去。65歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

馨子内親王

没年:寛治7.9.4(1093.9.26)
生年:長元2.2.2(1029.2.17)
平安時代後期,後三条天皇の皇后。後一条天皇と藤原威子の子。「かおるこ」とも。長元4(1031)年10月,内親王,二品,准三宮となる。同年12月,大斎院選子内親王のあとを継いで3歳で賀茂斎院に卜定され,両親はあまりの幼さに嘆き悲しんだ。長元9年父天皇の死により退出し,母と同居。源師房が後見となった。永承6(1051)年東宮尊仁親王(後三条天皇)の妃となり,1男1女を生むがいずれも夭折。夫即位ののち延久1(1069)年に中宮となり,貞仁親王(白河天皇)の継母となる。延久5年夫天皇の出家とともに尼となったが,そのまま後宮にとどまった。承保1(1074)年白河天皇の中宮賢子立后にともない,再び皇后(非妻皇后)となる。西院皇后と呼ばれた。

(京楽真帆子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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