朝日日本歴史人物事典 「藤原威子」の解説
藤原威子
生年:長保1.12.23(1000.2.1)
平安中期,後一条天皇の中宮。従二位。藤原道長と源雅信の娘倫子の子。後一条天皇の尚侍を経て,寛仁2(1018)年入内,立后。時に天皇11歳,威子20歳。同母姉太皇太后彰子,皇太后妍子と共に「一家に三后が立つ」前代未聞の事態となった。立后の祝いの席上,父道長が作った「此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の和歌は有名。章子・馨子内親王をもうける。『栄花物語』に「総じて有様,ふるまひともに奥ゆかしく,並ぶ人もない様子」とあるように,控え目で性格の優しい女性だったようだ。後一条天皇の死後あとを追うように没し,女房たちを嘆かせた。
(楢原潤子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報