馬場重久
没年:享保20(1735)
生年:寛文3(1663)
江戸中期の医師,養蚕家。上野国群馬郡北下村(群馬県吉岡村)に生まれる。通称三太夫。医業のかたわら養蚕と農事改良に力を尽くした。正徳2(1712)年,蚕飼育の理論と実践をふまえて,炭火による保温を採りいれた飼育法を説いた養蚕指導書『蚕養育手鑑』(1712)を江戸で出版。この飼育法は以後江戸時代を通じて全国各地に普及した。なお,馬場鍬と呼ばれた米作用の手鍬も発明した。<参考文献>『群馬県蚕糸業沿革調査書』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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馬場重久 ばば-しげひさ
1663-1735 江戸時代前期-中期の養蚕家,医師。
寛文3年生まれ。上野(こうずけ)北下村(群馬県吉岡村)の人。医業のかたわら養蚕技術の改良につとめ,正徳(しょうとく)2年養蚕技術書「蚕養育手鑑(てかがみ)」を江戸で出版。また馬場鍬(くわ)とよばれる手鍬を発明した。享保(きょうほう)20年1月16日死去。73歳。通称は三太夫。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の馬場重久の言及
【上野国】より
…越後柏崎で一揆を起こした生田万は館林藩士の出である。このほか養蚕指導書《蚕養育手鑑》(1712)を著した馬場重久や渋川の吉田芝渓など農学の先達があり,関孝和が出たので和算も盛んであった。蘭医学では種痘の村上随憲,帝王切開を創始した伊古田純道,脱獄した高野長英をかくまった福田宗禎らをあげることができる。…
※「馬場重久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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