程順則(読み)てい・じゅんそく

朝日日本歴史人物事典 「程順則」の解説

程順則

没年:尚敬22.12.8(1735.1.1)
生年:尚質16.10.28(1663.11.27)
江戸中期の琉球の代表的な政治家,儒者和名は名護寵文。琉球久米村に生まれる。父は泰祚,母は饒古樽。高潔な人柄で名護聖人または名護親方と呼ばれる。尚貞14(1683)年通事として中国に渡り,朱子学を学ぶ。のちにも数度中国に渡る。帰国に際し,明の太祖が庶民に下した勅諭六諭衍義」を持ち帰った。この書は薩摩藩を経て江戸幕府に献上され,荻生徂徠の訓点,室鳩巣和訳により刊行され,近世庶民教育の教科書として使用された。正徳年間(1711~16)には江戸に上り,新井白石と会見しており,白石の『南島志』『采覧異言』にはその影響がみられる。久米村の聖廟と公教育機関としての明倫堂創設は彼の建議による。<参考文献>真栄田義見『程順則伝』

(小島康敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「程順則」の解説

程順則 てい-じゅんそく

1663-1735* 琉球の儒者。
尚質王16年10月28日生まれ。名護間切(なごまぎり)の総地頭。清(しん)(中国)で陳元輔(げんぽ)に朱子学と詩文をまなぶ。もちかえった「六諭衍義(りくゆえんぎ)」は室鳩巣(むろ-きゅうそう)により和訳された。琉球最初の教育機関明倫堂建設を提案し,実現させた。尚敬王22年12月8日死去。72歳。和名は名護寵文(なご-ちょうぶん)。通称は名護聖人。著作に「琉球国新建至聖廟記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「程順則」の解説

程順則 (ていじゅんそく)

生年月日:1663年10月28日
江戸時代中期の琉球の政治家;儒者
1735年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の程順則の言及

【六諭衍義】より

…元来六諭は,郷村で老人や不具者などに命じて毎月6回,木鐸(ぼくたく)を鳴らして路傍で唱えさせていたものであるが,さらに実効を期するために,衍義,訓解などの解説書が作られて,毎月の1日・15日に,あるいは各種の会合で講話が行われ,学校では児童に暗誦させた。《六諭衍義》は,1708年(康熙47),琉球の人,程順則(1663‐1734)によって福州で翻刻され,それが日本にも伝わり,1721年(享保6),将軍徳川吉宗の命により荻生徂徠が訓点をほどこして出版し,さらに翌年,室鳩巣が大意を和解した《六諭衍義大意》が出され,以後,各藩に流布し,何種類かの和解本が続出し,日本の民衆道徳に大きな影響を与えた。【坂出 祥伸】。…

※「程順則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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