朝日日本歴史人物事典 「程順則」の解説
程順則
生年:尚質16.10.28(1663.11.27)
江戸中期の琉球の代表的な政治家,儒者。和名は名護寵文。琉球久米村に生まれる。父は泰祚,母は饒古樽。高潔な人柄で名護聖人または名護親方と呼ばれる。尚貞14(1683)年通事として中国に渡り,朱子学を学ぶ。のちにも数度中国に渡る。帰国に際し,明の太祖が庶民に下した勅諭「六諭衍義」を持ち帰った。この書は薩摩藩を経て江戸幕府に献上され,荻生徂徠の訓点,室鳩巣 の和訳により刊行され,近世庶民教育の教科書として使用された。正徳年間(1711~16)には江戸に上り,新井白石と会見しており,白石の『南島志』『采覧異言』にはその影響がみられる。久米村の聖廟と公教育機関としての明倫堂創設は彼の建議による。<参考文献>真栄田義見『程順則伝』
(小島康敬)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報