馬島僴(読み)マジマ カン

20世紀日本人名事典 「馬島僴」の解説

馬島 僴
マジマ カン

昭和期の医師 産児調節運動の先駆者。



生年
明治26(1893)年1月3日

没年
昭和44(1969)年10月5日

出生地
愛知県名古屋市

本名
馬島 僴(マジマ ユタカ)

旧姓(旧名)
浜田

学歴〔年〕
愛知医専〔大正7年〕卒

経歴
学校を出た翌年の大正8年、徳島中学の先輩、賀川豊彦が貧民救斉事業として経営していた神戸の友愛診療所に入って診療に従事し、翌年には渡米してシカゴ大学で小児科の勉強をする。この間、産児調節の知識を習得する。12年に帰国後は、当時M・サンガー夫人の来日を機に起きた産児制限運動に医師としてただ一人参加、昭和3年には共産主義に傾倒して東大の本所セツルメント近くに労働者診療所を開設。また3.15弾圧後には「解放運動犠牲者救援会」の会長となった。しかし、左翼活動への弾圧が厳しくなり、9年には堕胎事件で起訴され、2年後、執行猶予に。戦後は24年に日本産児調節連盟を組織するなど、産児調節運動を再展開する一方、「日中・日ソ国交回復国民会議」の結成に尽力してその事務総長を務め、32年に日ソ協会が設立されるとその理事長にもなっている。馬島式ダッチベッサリーは避妊具として世界的に有名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬島僴」の解説

馬島僴 まじま-ゆたか

1893-1969 大正-昭和時代の医師,社会運動家。
明治26年1月3日生まれ。賀川豊彦(かがわ-とよひこ)に共鳴して,神戸で医療救済活動にあたる。大正9年欧米に留学して産児調節をまなぶ。昭和3年東京に労働者診療所を開設,翌年東京市議。戦後も産児調節運動を推進した。馬島ペッサリーの考案者。32年日ソ協会理事長。昭和44年10月5日死去。76歳。愛知県出身。愛知県立医専卒。旧姓は浜田。通称は僴(かん)。

馬島僴 まじま-かん

まじま-ゆたか

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の馬島僴の言及

【産児制限】より


[日本における産児制限運動]
 20世紀初頭に新マルサス主義が日本に紹介されたが産児制限運動にはつながらなかった。1918,19年ころ安部磯雄山本宣治その他の進歩的社会運動家が日本文化進展のため産児制限の必要を説き,また当時神戸の貧民街で救療に従事していた馬島僴(かん)(1893‐1969)は医療救済の観点からこの運動を始めた。アメリカ留学中にサンガーを知った石本(のちの加藤)シヅエも帰国,紹介した。…

※「馬島僴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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