かん

精選版 日本国語大辞典 「かん」の意味・読み・例文・類語

かん

  1. 〘 副詞 〙 ( 多く「と」を伴って用いる。古くは「くゎん」とも表記 ) 鐘、鉦(かね)や堅いものを強く打ったりたたいたりしたときにたてる音を表わす語。
    1. [初出の実例]「握拳の握り飯、食らふて見よといふ空の霞に落つる鐘の声、ごんと鳴ればくんと食らはせ、又ごんと鳴るくんと打(は)る〈略〉頭で数とる拍子取」(出典:浄瑠璃・曾我会稽山(1718)一)

かん

  1. 〘 接頭語 〙 動詞に付いて、その意味を強めたり、語調を整えたりする。「かんでる」「かんなめる」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「かん」の意味・わかりやすい解説

カン(ドイツのロック・グループ)
かん
Can

ドイツのロック・グループ。イルミン・シュミットIrmin Schmidt(1937― 、キーボード)、ホルガー・シューカイHolger Czukay(1938―2017、ベース、エフェクト)、ヤキ・リーベツァイトJaki Liebezeit(1938―2017、ドラム)、ミヒャエル・カローリMichael Kaloli(1946―2001、ギター)を中心に、1968年西ドイツ(当時)のケルンで結成された。先鋭的な手法によって、1970年代ジャーマン・ロック・シーンにおいてもっとも高い、かつ世界的な評価を得た。

 ベルリン生まれのシュミットは、ドルトムントエッセンなどの音楽院でピアノや指揮を学んだ後、アーヘン市立劇場で指揮者として活躍していたが、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会でカールハインツ・シュトックハウゼンの現代音楽講座を受けていたときに、同じ講座を受講していたシューカイと意気投合し、新しいグループの結成を思い立った。ダンツィヒ(現、ポーランド領グダニスク)出身のシューカイもまたクラシック音楽畑の出身で、作曲法などを学んだ後、スイスの高校で音楽教師をしたり、シュトックハウゼンのスタジオでアシスタントを務めたりしていた。彼らはともに、限定された聴衆だけを相手にする現代音楽に限界を感じるようになり、より大衆的かつ実験的な音楽表現を目ざした。

 リーベツァイトは、1960年代初頭よりジャズ・ドラマーとして活動を開始し、テテ・モントリューTete Montoliu(1933―1997、ピアノ)やチェット・ベーカーなどとの共演を経て、1966年にはドイツのフリー・ジャズ・シーンで活躍していたマンフレート・ショーフManfred Schoof(1936― 、トランペット)のクインテットに加入、その後シュミットとシューカイに合流した。カローリはシューカイが教鞭(きょうべん)をとっていたスイスの高校の生徒で(シューカイの直接の生徒ではない)、シューカイに誘われてカン結成に参加した。4人のうちロックを聴き親しんでいたのはカローリだけである。さらにアメリカ出身の実験音楽家デビッド・ジョンソンDavid Johnson(フルート、テープ操作)が加わり、カンとしてスタート。だが、ジョンソンはほどなく脱退し、かわりにアメリカ出身の黒人彫刻家マルコム・ムーニーMalcolm Mooney(1944― )がボーカルとして加入。この5人で1969年、デビュー・アルバム『モンスター・ムービー』Monster Movieを限定600枚の自主制作盤としてリリース。執拗(しつよう)に反復を繰り返すドラム・パターンとベースのリフ(反復楽節)を軸に即興的に展開される起承転結のない楽曲構成、感情をけっしてあらわにしない念仏のようなボーカルなど、展開された音楽世界はすでに最初からポップ・ミュージックとしての文脈を逸脱していた。

 身につけたアカデミックな音楽語法をすべて捨て去るところからスタートした強烈にニヒルでダダイスティックな表現が、1970年代後半から爆発するパンクニュー・ウェーブに強い影響を与えたのも当然といえる。その革新性、暴力的なまでの奔放さは、ムーニー脱退後にヨーロッパを放浪していた日本人ボーカリストのダモ鈴木(1950―2024)が新加入してからの作品『タゴ・マゴ』Tago Mago(1971)、『エーゲ・バミヤージ』Ege Bamiyasi(1972)、『フューチャー・デイズ』Future Days(1973)で一段と高められてゆく。とくに『フューチャー・デイズ』からは、シューカイによる種々のサウンド・エフェクトやテープ編集などの妙も加わり、荒々しさと奇妙な浮遊感が一体化した世界が確立された。しかし、アンサンブルを活性化させる不確定要素としてのダモ鈴木が1973年に抜けてからは、中途半端な整合性に支配されるようになり、バンドポテンシャルはしだいに低下、結局1979年の『インナー・スペース』を最後にバンドは解散した。

 1989年には一度再結成アルバム『ライト・タイム』を発表したが、その後、各人がソロ・アルバムの制作や新ユニットの結成、セッション活動、映画音楽の作曲などを続ける。とくに目だつのがシューカイの活躍で、1979年の『ムービーズ』Movies以降、短波ラジオやさまざまなサウンド・エフェクトも用いてのサンプリング、カットアップ、コラージュ・ワークが光る多くの優れたソロ・アルバムを発表している。シューカイのコラージュ・ワークは、すでに1968年のアルバム『カナクシス』(ロルフ・ダマーズRolf Dammersとの共作)から始まっているが、音響面からの斬新(ざんしん)なアプローチも含めて、彼を1990年代の音響派やエレクトロニカ(1990年代テクノの隆盛後、非楽音=ノイズや生楽器の導入など、手法と形態が多様化した広義のエレクトロニック・ミュージック)の源泉の一つとみなすことも可能である。

[松山晋也]

『明石政紀著『ドイツのロック音楽 またはカン、ファウスト、クラフトワーク』(1997・水声社)』『Pascal BussyThe Can Book(1986, SAF Publishing, London)』


カン(北・中央アジアの遊牧国家の君主の称号)
かん

ハガン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「かん」の意味・わかりやすい解説

カン
Caen

フランス北西部,カルバドス県の県都。大西洋に注ぐオルヌ川河口から 14km上流の河港都市。10世紀以後ノルマンディー公国(→ノルマンディー)の重要な都市となり,ウィリアム1世の時代にはバスノルマンディーの首都であった。以後フランス,イングランド間の戦いなどでたびたび損害を受け,特に第2次世界大戦中の 1944年に市の北方ノルマンディーに上陸し南下したイギリス=カナダ軍とドイツ守備軍との激戦では,市街の 3分の2が破壊された(→オーバーロード作戦)。しかし聖エティエンヌ修道院聖堂,ラトリニテ修道院聖堂(ともに 1060年代)など,ノルマン文化を伝えるかなりの数の建築物が戦火を免れている。ウィリアム1世の墓もここにある。19世紀以来の港町で,モンドビル付近で産出する鉄鉱石の輸出,石炭の輸入によって繁栄した。鉄鋼業,自動車,電機などの工業も盛ん。バスノルマンディー地方の物資の集散地としての機能も重要である。1432年創設の大学がある。人口 10万9899(2008)。

カン
Cão, Diogo

15世紀後半頃在世したポルトガルの航海者,探検家。アフォンソ5世 (アフリカ王)に仕えた。コンゴ川を発見し (1482.8.) ,セントカサリーン岬 (南緯1°52′) からクロス岬 (南緯 21°50′) までのアフリカ西海岸を探検した。

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