日本歴史地名大系 「馬杉庄」の解説 馬杉庄ますぎのしよう 滋賀県:甲賀郡甲南町馬杉庄現上馬杉・下馬杉を中心に成立した山間の庄園。南は伊賀国境。中世後期には杣(そま)川左岸の池田(いけだ)保も馬杉庄の名を冠して呼称されている。仁平元年(一一五一)広隆(こうりゆう)寺(現京都市右京区)領馬椙(ますぎ)庄などに伊勢役夫工米が課せられたが、四月に催促停止を求めている(「広隆寺所司解案」東寺百合文書)。伊賀国湯船(ゆぶね)・玉滝(たまたき)(現三重県阿山郡阿山町)とも交流があったとみられる。保元元年(一一五六)には東大寺北杣(現阿山郡)を出作していた公領の湯船・玉滝の住民が、斎王帰京の雑事などの国役を対捍し、一〇月から広隆寺領馬椙庄に逃亡している(同年一一月日「伊賀国在庁官人等解案」東大寺文書)。当庄の寺田は、文永八年(一二七一)僧大進公某の当庄切田の知行が安堵され(同年一二月二日「亀山天皇綸旨」広隆寺文書)、さらに応長元年(一三一一)には僧厳誉相伝の切田が門弟宝珠丸に譲渡されていることから(同年五月二五日「厳誉譲状」同文書)、切田として寺僧に分割相伝されたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by