日本歴史地名大系 「馬潟村」の解説 馬潟村まかたむら 島根県:松江市旧意宇郡地区馬潟村[現在地名]松江市馬潟町中海に注ぐ大橋(おおはし)川河口域南岸に位置し、南東は八幡(やわた)村、西は竹矢(ちくや)村。同村境を山陰道が通る。中世は竹矢郷に含まれていたとみられる。大永二年(一五二二)六月二八日の清水給田坪付帳(秋上家文書)に「半 代弐百五十尻 まかつた」とみえ、藤兵衛が作人を勤めていた。大内氏が出雲侵攻を進めていた天文一一年(一五四二)一一月大内義隆は忌部(いんべ)に本陣をおいたが、風雪が強いので「馬かだ正久寺」(現存せず)に移したという(年月日未詳「二宮俊実覚書」吉川家文書、「忌部総社神宮寺根元録」)。永禄六年(一五六三)八月八日には白鹿(しらが)城下の馬潟原で尼子氏と毛利氏と一戦があり、尼子方の末次次郎は首を一つ挙げているが(同年八月一八日「尼子義久感状」末次家文書)、戦いは毛利方の勝利に終わり、数ヵ月後には白鹿城も陥落した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報