馬絹村(読み)まぎぬむら

日本歴史地名大系 「馬絹村」の解説

馬絹村
まぎぬむら

[現在地名]宮前区馬絹・宮崎(みやざき)・宮崎一―六丁目・宮前平(みやまえだいら)一―三丁目・小台(こだい)一―二丁目など

東は梶(かじ)ヶ谷(や)・末長(すえなが)両村(現高津区)、西は土橋(つちはし)村に接し、西南へ矢倉沢(やぐらさわ)往還が通る。宮前(みやまえ)・下神戸(しもかんべ)・上神戸・矢尻(やじり)・矢中耕地(やなかこうち)・三ッ又(みつまた)・大谷(おおたに)の小字がある。田園簿に村名がみえる。

慶長七年(一六〇二)旗本遠山領、寛永一〇年(一六三三)旗本遠山・川勝領と幕府直轄領の三給。明治一一年(一八七八)の皇国地誌によれば二つの用水堀と四つの溜池があり、大(おお)堀は土橋村から入り、梶ヶ谷村へ至るもので、長さ一八町二一間、幅一間四尺、深さ四尺で、田二〇町九反余の灌漑に用いられ、谷(たに)堀は土橋村から入り宮前で大堀に合流し、長さ一〇町二九間、幅五尺、深さ三尺、田六町一反余の用水を供した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報