日本大百科全書(ニッポニカ) 「馮雲山」の意味・わかりやすい解説
馮雲山(ふううんざん)
ふううんざん
(1815?―1852)
中国、広東(カントン)省花県の客家(ハッカ)の小地主で、洪秀全が創立した拝上帝教に真っ先に共鳴し、広西省潯州(じんしゅう)府の紫荊(しけい)山区を中心に、多数の信徒を組織した人物。「ひょううんざん」とも読む。拝上帝会の拡大は、彼の優れた組織者としての能力に負うところが大きい。1847年、広西にきた洪秀全を迎えて展開した偶像破壊運動によって逮捕されたが、巧みな弁説によって釈放され、以後、秀全や楊(よう)秀清、蕭朝貴(しょうちょうき)らと挙兵準備の中心的役割を果たした。その儒教や古典についての知識によって、初期の軍制の制定などに大きな役割を果たし、51年末、永安で5人の王(東、西、南、北、翼王)が封ぜられたとき、南王となり、西王とともに第一線で戦ったが、52年6月、広西・湖南省境の全州付近で戦死した。
[小島晋治]