日本歴史地名大系 「駒ヶ林村」の解説 駒ヶ林村こまがばやしむら 兵庫県:神戸市長田区駒ヶ林村[現在地名]長田区駒ヶ林町一―六丁目・二葉町(ふたばちよう)五―一〇丁目・久保町(くぼちよう)五―一〇丁目・腕塚町(うでづかちよう)五―一〇丁目・大橋町(おおはしちよう)五―一〇丁目・若松町(わかまつちよう)五―一一丁目・日吉町(ひよしちよう)一―六丁目、須磨(すま)区常盤町(ときわちよう)一―四丁目・千歳町(ちとせちよう)一―四丁目・大池町(おおいけちよう)一―四丁目西尻池(にししりいけ)村の西、大阪湾に面する沖積地に立地。「源平盛衰記」巻七によると、治承元年(一一七七)の鹿ヶ谷事件により備前に配流となった藤原成親は大物(だいもつ)浦(現尼崎市)で船に乗り、和田(わだ)岬(現兵庫区)を往来する人々や「小馬ノ林」などを船上から見ながら西へ向かっている。また「平家物語」巻九(重衡生捕)によると平重衡は生田(いくた)森(現中央区)の副将軍だったが、一ノ谷合戦で平家軍が敗れたため、湊(みなと)川・苅藻(かるも)川を渡り、蓮(はす)の池を右に、「駒の林」を左にして敗走したとあり、当地の北方を山陽道が通っていた。享徳二年(一四五三)一一月八日の図師職充行状(岩井文書)に「兵庫上庄駒林」とみえ、兵庫上庄に属しており、道正より円道に至るまで三代相続してきた図師職および字エノ木・堀河ノハタの下地が引続き助次郎に宛行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by