日本歴史地名大系 「駒林村」の解説
駒林村
こまばやしむら
東は
「廻国雑記」によると、文明一八年(一四八六)道興は鎌倉への途次「駒林といへる所にいたりて宿をかり侍るに、あさましげなる賤のふせやに落葉所をせき侍るを、ちとはきなどし侍りける間、たゝずみて思ひつゞけける」として「つなかれぬ月日しられて冬きぬと又はをかふる駒はやし哉」と詠んでいる。小田原衆所領役帳に江間藤左衛門「拾貫文 小机筋駒林内ニ而被下」、市野弥次郎「四拾三貫七百廿文 小机駒林」とある。永禄八年(一五六五)五月二五日の北条家朱印状写(県史三)によれば「駒林郷」の小代官・百姓中に宛て正木棟別二貫六七八文のうち三分の二を麦で
駒林村
こまはやしむら
駒林村
こまばやしむら
駒林村
こまばやしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報