日本歴史地名大系 「駒止町」の解説
駒止町
こまどめちよう
明治五年(一八七二)二月に一町として公認された町で(同年「御達留」市立函館図書館蔵、「事業報告」第一編)、船見町の通りの北西側を並行して走る通りに沿う(明治六年函館旧市街図)。町名は前期幕府領時代に蝦夷地警衛を命じられた弘前藩(津軽藩)の勤番所が当地の西方(のちの台町地内)に置かれ、当地には勤番者の長屋や馬場があったので、駒止と称したという(函館地名考)。「箱館夜話草」には「津軽陣屋旧跡、今は畑地となり、又は町家の板蔵など多く建たり」と記される。明治九年の現住戸口は二六戸・一〇四人(函館支庁管内村町別戸口表)。同一四年七月に一部を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報