高城山城跡(読み)たかしろやまじようあと

日本歴史地名大系 「高城山城跡」の解説

高城山城跡
たかしろやまじようあと

[現在地名]岩城町下蛇田

亀田かめだ町の南にある標高一七〇・三メートルの山城。中世末に由利十二頭の赤尾津氏が居城とし、赤尾津氏以前に由利氏一族が拠ったとの説もある。

赤尾津氏滅亡後、最上義光の家臣楯岡豊前守満茂が一時居城したが、城域狭隘のため本荘城に移り、元和九年(一六二三)から岩城氏は高城の下に居館を築き(出羽国風土略記)、山城は荒廃した。宝永七年(一七一〇)の御巡見様御書付写(大内町文化財資料)に「古館高城、畑ニ成御座候」とあり、宝暦一一年(一七六一)には「古城ニ何そ古之物残候儀有之候哉と御尋候ハヾ、何ニ茂無御座候、門石抔斗残リ有之候可申上候」(「御巡見様御通之節御答覚書」大内町文化財資料)ともあり、古城の推移が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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