岩城氏(読み)いわきうじ

改訂新版 世界大百科事典 「岩城氏」の意味・わかりやすい解説

岩城氏 (いわきうじ)

陸奥国岩(石,磐)城郡(福島県いわき市)の中世豪族桓武平氏常陸大掾平国香の子孫。平安時代の末に国香の曾孫則道が岩城郡に土着したのがはじまり(一説では忠衡)という。鎌倉時代初期にはもと岩城郡内の好嶋(よしま)荘の地頭となり,一族が荘内および岩城郡内の村々に分かれて定住し,それぞれの村の名を苗字とする一分地頭になった。15世紀に至ってその中の白土氏の系統が一族を統合して戦国大名になり,16世紀中ごろの重隆の代には,北は楢葉郡(福島県楢葉町)から南は常陸国の一部までを領有するに至った。その後は北進する常陸国の佐竹氏に従属し,1590年(天正18)に岩城常隆のあとに佐竹義重の三男能化丸(のうけまる)(貞隆)を迎えている。同年豊臣秀吉から本領の岩城平12万石を与えられたが,関ヶ原の戦に不参したため,1602年(慶長7)徳川家康によって本領を没収され,のち23年(元和9)出羽国亀田(現秋田県由利本荘市,旧岩城町)に2万石を与えられ,その藩主となった。維新後子爵。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩城氏」の意味・わかりやすい解説

岩城氏
いわきうじ

陸奥国(むつのくに)(福島県)磐城(いわき)地方の豪族。桓武平氏(かんむへいし)、常陸大掾(ひたちのだいじょう)平国香(たいらのくにか)の曽孫(そうそん)で、磐城郡に土着して岩城氏を称した則道(のりみち)(隆道)を祖とするものが多いが、「岩城国魂系図(くにたまけいず)」(国魂文書)は高久三郎忠衡(たかくさぶろうただひら)を祖とする。鎌倉時代には郡内の好島荘(よしまのしょう)の地頭として勢力を拡大、南北朝・戦国時代には近隣の伊賀氏らを押さえて戦国大名化し、16世紀なかば重隆(しげたか)のころには、北は楢葉(ならは)郡から南は常陸国(茨城県)の一部に及ぶ領国を形成した。その後佐竹(さたけ)氏の勢力下に入った。1590年(天正18)豊臣秀吉(とよとみひでよし)より磐城12万石を与えられたが、関ヶ原の戦い不参のかどで1602年(慶長7)徳川氏により所領没収。1616年(元和2)大坂の陣参加の功により信濃国(しなののくに)(長野県)川中島(かわなかじま)1万石を与えられ、1623年出羽国(でわのくに)(秋田県)亀田(かめだ)2万石に移り、幕末に至った。

[小林清治]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の岩城氏の言及

【好島荘】より

…預所職ははじめ千葉常胤から子孫に相伝されたのち三浦義村に移ったが,1247年(宝治1)伊賀光宗が補任されて以後,伊賀(飯野)氏の世襲となった。地頭は平安後期以来のこの地の豪族岩城氏である。西荘では好島村,東目(飯野)村が地頭分で,今新田,小谷迫,河中子,小島などの新開地は預所分という支配区分が,鎌倉後期までに成立した。…

※「岩城氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android