高屋館跡(読み)たかやたてあと

日本歴史地名大系 「高屋館跡」の解説

高屋館跡
たかやたてあと

[現在地名]鹿角市花輪 館ヶ沢

鹿角かづの盆地の西側山地、よねしろ川と花軒はなのき川に挟まれた比高三〇メートルの台地の先端部に位置する中世の城館跡。多郭連続式の館で、そのほぼ中央に位置する郭が本丸と伝承されている。本丸の北東側には蔵屋敷とよばれる腰郭状の平場があり、南側には空堀を隔てて本丸と比高がほぼ同じ郭がある。その南側には空堀を隔てて台地が広がり、居住域と想定されている。

慶安四年(一六五一)の成立と思われる「鹿角由来集」の「京郡四拾二郷ニ侍四拾弐人住居之事」の項に「高屋村 高屋筑前領 名字秋本 館有 秋田牢人以後 信直様御代佐藤近江知行被下」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む