高山畏斎(読み)たかやま いさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高山畏斎」の解説

高山畏斎 たかやま-いさい

1727-1784 江戸時代中期の儒者
享保(きょうほう)12年3月18日生まれ。筑後(福岡県)上妻郡農民学問をこのみ,30歳で留守希斎(るす-きさい)に入門。帰郷後塾をひらいて郷民におしえる。天明3年筑後久留米(くるめ)藩主有馬頼徸(よりゆき)にまねかれ,藩士子弟に講義した。天明4年7月17日死去。58歳。名は一之通称は可三郎,金二郎。著作に「論君臣称謂論」「五行始生考」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む