20世紀日本人名事典 「高島小金治」の解説 高島 小金治タカシマ コキンジ 明治・大正期の実業家 生年文久1年4月8日(1861年) 没年大正11(1922)年3月28日 出生地上野国前橋(群馬県) 学歴〔年〕慶応義塾〔明治2年〕卒 経歴明治2年慶応義塾講師となったが、のち民権運動に携わる。17年ヤマサ醬油の拡販のため外遊する浜口成則に随行し欧米を視察、途中ニューヨークで客死した浜口の遺志を継ぎサンフランシスコに醬油店を開業。帰国後、大倉喜八郎の内外用達会社に入社し取締役に就任。以後大倉の右腕となって実業界で活躍した。大倉組副頭取・取締役、日本豆粕製造(のちの日清製油)初代社長のほか、日本皮革、鉄道銀行、日本製靴(のちのリーガルコーポレーション)、新高製糖、大倉商事などの重役を歴任した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高島小金治」の解説 高島小金治 たかしま-こきんじ 1861-1922 明治-大正時代の経営者。文久元年4月8日生まれ。明治19年欧米を遊歴し,帰国後大倉喜八郎の内外用達会社にはいり取締役をつとめる。のち大倉組副頭取,日本製靴(現リーガルコーポレーション)の重役,日清豆粕製造(現日清製油)初代社長などをつとめた。大正11年3月28日死去。62歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。慶応義塾卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by