国指定史跡ガイド 「高島秋帆旧宅」の解説
たかしましゅうはんきゅうたく【高島秋帆旧宅】
長崎県長崎市東小島町にある邸宅跡。高島秋帆は江戸時代末期に荻野流砲術や西洋砲術の研究をした兵学者。江戸時代の高島家は長崎四家の一つに数えられる名家で、代々、町年寄として町の行政権を握っていた。高島家の本邸は、秋帆の父・高島四郎兵衛茂紀によって大村町(現在の万才町)に建てられたが、1838年(天保9)の火災で全焼し、その後、現在の東小島町の別邸に居住。木造2階建ての別邸は1806年(文化3)に建てられたもので、別名雨声楼(うせいろう)とも呼ばれていた。秋帆が最初に近代洋式砲術を学んだのは26歳の時で、出島に来たオランダ商館長スチュルレルからだったといわれており、秋帆は1838年(天保9)から1842年(天保13)までをこの別邸で過ごし、60歳の時に江戸幕府の講武所砲術師範役に取り立てられた。1922年(大正11)の指定当時には、別邸は残っていたが、1945年(昭和20)の原爆で大破。戦後、史跡指定地は売却され、庭園も旧状を失い、現在は石垣、土塀、井戸、常夜灯が名残をとどめている。JR長崎本線長崎駅から長崎電気軌道「正覚寺」下車、徒歩約3分。