高昌院
こうしよういん
[現在地名]新里村刈屋
館町にある。善松山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。江戸時代には華厳院(現宮古市)の末寺で報恩寺(現盛岡市)の支配下にあった(邦内郷村志)。由来書によると、刈屋氏の二代目伊予介政基が弘治三年(一五五七)父高義の菩提所として建立したと伝える。その後、天正九年(一五八一)華厳院六世三叟義門が開基となった。義門は天正七年には黒田村(現宮古市)に古常安寺を開き、同一八年には田代村(現同上)に久昌寺を開いている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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