高月郷(読み)たかつきごう

日本歴史地名大系 「高月郷」の解説

高月郷
たかつきごう

和名抄」諸本に訓はない。郷域については、明治二二年(一八八九)成立の東高月ひがしたかつき村・西高月村(現赤磐郡山陽町熊崎・下市・立川・河本・門前・和田・岩田・長尾・穂崎・馬屋と岡山市牟佐の地域)に比定されている(「大日本地名辞書」「岡山県通史」など)。推定郷域内には弥生時代以来の遺跡が集中的に存在し、赤坂郡内はもとより古代吉備の中心地域の一つであったとみてよい。用木山ようぎやま遺跡(山陽町)丘陵斜面に営まれた弥生集落で、竪穴住居跡一二〇以上、高床住居跡、貯蔵穴を検出している。集落は大型住居一棟と小型住居四―五棟の単位で構成され、各住居区は斜面を掘込んで埋立てたテラスごとに配置されている。


高月郷
たかつきごう

近世の高槻たかつき村を遺称地とし、現在の八幡東区北東部、槻田つきだ川の中・下流域一帯に比定される。正平一一年(一三五六)三月七日の宇佐公浦譲状(広崎文書/南北朝遺文(九州編)四)に「到津庄高月郷」とみえ、宇佐公浦は当郷鶴土名地頭職など重代相伝の当知行地を子息公令に譲っている。門司親尚は貞治三年(一三六四)一〇月一七日に麻生あそう山に押渡った後、香月かつき上津役こうじやく(現八幡西区)到津いとうづ(現小倉北区)・高月などでの合戦で軍忠をあげている(同四年四月日「門司親尚軍忠状」門司文書/南北朝遺文(九州編)四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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