高木保之助(読み)タカギ ヤスノスケ

20世紀日本人名事典 「高木保之助」の解説

高木 保之助
タカギ ヤスノスケ

大正・昭和期の日本画家



生年
明治24(1891)年

没年
昭和16(1941)年8月16日

出身地
東京・本郷湯島

学歴〔年〕
東京美術学校日本画科選科〔大正8年〕卒

経歴
明治34年川端玉章師事し、のち松岡映丘に師事。映丘門下の岩田正巳らによって大正10年結成された新興大和絵会に、12年より同人として参加、また木之華社にも同人として加わる。この間8年帝展に初入選、以後入選を続け、昭和3年「はまなすの浜」、4年「夏の粧」がともに特選を受賞。5年帝展推薦となり、新文展にも無鑑査出品した。また10年結成された国画院にも同人として参加し、12年第1回展に大作「燎乱の四季」を出品。大和絵の伝統を継ぐ花鳥画を得意とし、東台邦画会や日本画院にも出品した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木保之助」の解説

高木保之助 たかぎ-やすのすけ

1891-1941 大正-昭和時代前期の日本画家。
明治24年生まれ。川端玉章,松岡映丘(えいきゅう)に師事。新興大和絵会,国画院に参加,伝統的な花鳥画をえがいた。帝展では昭和3,4年連続特選となる。昭和16年8月16日死去。51歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「はまなすの浜」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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