デジタル大辞泉 「四季」の意味・読み・例文・類語
しき【四季】[書名・曲名]
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
詩誌。第1次は堀辰雄編集,四季社刊,1933年5~7月,全2冊の季刊誌。第2次は堀辰雄,三好達治,丸山薫の共同編集で出発,四季社刊,34年10月~44年6月,全81冊の月刊誌。とくに注目されるのは第2次《四季》で,共同編集者のほか,津村信夫と立原道造が参加して昭和10年代抒情詩の一方向を定めた。のち萩原朔太郎,室生犀星のほか,中原中也,竹中郁,神保光太郎,伊東静雄などの詩人,あるいは桑原武夫,河盛好蔵,大山定一,保田与重郎,芳賀檀なども参加して総合文化誌的側面もあった。そのおおよその性格は,《詩と詩論》など昭和初頭の実験的モダニズムの後を受けて,調和的な知性によって抒情性をとらえ直し,よく伝統的詩情を守ったというあたりにある。同人のなかには《日本浪曼派》《コギト》にも属して,戦争期の時代精神に激しくゆさぶられた者もあったが,堀に代表される近代知性はその温雅な主情性を貫き通した。戦後,第3次・第4次《四季》が刊行された。
執筆者:安藤 靖彦
春夏秋冬の四つの季節を題材とした音楽作品。古くから数多く作曲されてきたが,とくに有名なのは,以下の作品である。(1)ビバルディのバイオリン協奏曲集《四季Il quatro stagioni》(《和声と創意の試み》(作品8,1725)の冒頭4曲)。
イタリアのベネト地方の田園生活の四季を歌いあげたソネットが付随する。(2)ハイドンの晩年のオラトリオ《四季Die Jahreszeiten》(1801) 台詞はスコットランドの詩人J.トムソンの原作をG.B.vanスウィーテン男爵がドイツ語に編作したもの。小作人シモン,娘ハンネ,若い農夫ルーカスを主人公に,合唱,管弦楽を駆使して,季節によって推移する田園の牧歌的情景と大地に根ざした生活の営みを歌い上げる。(3)ロシアの近代音楽家グラズノフによるバレエ音楽《四季》(作品67,1900)。
執筆者:服部 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア・バロックの作曲家アントニオ・ビバルディの作品。独奏バイオリンと通奏低音付き弦楽合奏のために書いた12曲からなる協奏曲集『和声と創意への試み』Il cimento dell'armonia e dell'invenzione(作品8。1725年アムステルダム初版)のうち、第1番から第4番までが一般にこの名でよばれている。各曲は3楽章からなる典型的な独奏協奏曲の形式をとっているが、第1番から順に春、夏、秋、冬と名づけられ、四季の情景を詠んだソネットが添えてあるところが特徴である。協奏曲に標題音楽の要素を取り入れた最初の例であり、夏の雷鳴や冬に氷の上を歩く人の姿など、音による描写が至るところにみられる。そしてこの『四季』は、その生気に満ちた楽想によって人気を得、第二次世界大戦後のバロック音楽ブームの口火を切った作品でもある。なお『四季』の名をもつ音楽作品には、ハイドンのオラトリオ(1801初演)、チャイコフスキーの12の小品からなるピアノ曲集(1875~76)、グラズーノフのバレエ音楽(1900初演)などがある。
[三宅幸夫]
詩雑誌。1933年(昭和8)に堀辰雄(たつお)が季刊2冊を刊行(第一次)、翌34年堀、三好達治(みよしたつじ)、丸山薫(かおる)の3人が月刊として創刊(第二次)、44年までに81冊を出した。おもな同人に前記3名のほか、津村信夫(のぶお)、立原道造(たちはらみちぞう)、辻野久憲(つじのひさのり)、中原中也(ちゅうや)、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)らがいる。時代的潮流や文壇ジャーナリズムの圏外で芸術を純粋に保持することを目ざして堀が始めた瀟洒(しょうしゃ)な雑誌であったが、立原の十四行詩(ソネット)や三好の作品など伝統的叙情と西欧的知性との両方を摂取した新たな叙情詩を数多く掲載、のち神保光太郎(じんぼこうたろう)ら『日本浪曼派(にほんろうまんは)』同人の加入でその雰囲気に一面での変化はあったが、昭和10年代における叙情詩復興の気運を推進する存在となった。
[大橋毅彦]
温帯地方の1年間の気候を春、夏、秋、冬の四つに区分したものをいう。区分の仕方は天文学上と気候学上では異なっている。天文学上の四季は、春(春分から夏至まで)、夏(夏至から秋分まで)、秋(秋分から冬至まで)、冬(冬至から春分まで)である。これに対し気候学上の四季は、春(3~5月)、夏(6~8月)、秋(9~11月)、冬(12~2月)である。
[根本順吉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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…したがって,熱帯地方では気温の年変化が小さく,最暖月と最寒月の平均気温の差すなわち年較差は5℃に満たぬほどであるが,温帯で10~20℃,寒帯で30℃をこす。このような理由で春,夏,秋,冬の四季の区別が明瞭なのは温帯で,熱帯ではむしろ雨季と乾季という区分がふつうであり,寒帯では春と秋が事実上ないといってよく,冬から夏へまた夏から冬へと急激に移り変わる。 古代人は天体運行の規則性の認識から季節の区分を考えた。…
…昔話や伝説には,三つのなぞ,3個の箱,三つの願い,3人の姉妹または兄弟などの主題がよくみられ,呪術的で神秘的なものごとの達成,失敗,転換とかかわる。 4は四つの方向(4方位),四つの風,四季,自然,大地,キリスト教では楽園エデンから流れ出る四つの大河,四福音書,十字架の四辺などを表し,ギリシアでは全体性を表現する最小の数であった。地水火風の四元または四大は宇宙を構成する原理であり,それに対応して四つの体液が想定されたことから人間の性格や心理機能も四分割されて考えられることが多い。…
…ヘシオドスの《神統記》によれば,ゼウスとテミス(〈掟〉)を両親とするエウノミアEunomia(〈秩序〉),ディケDikē(〈正義〉),エイレネEirēnē(〈平和〉)の3女神とされるが,一般には季節の移り変りとともに訪れて,植物を生長させ,花を咲かせる女神たちと考えられ,アッティカ地方ではアウクソAuxō(〈成長〉),タロThallō(〈花盛り〉),カルポKarpō(〈実り〉)と呼ばれた。その後ヘレニズム時代になると,春夏秋冬の四季(もともと一年は春夏冬の三季に分けられたが,前5世紀中ごろより〈秋〉の語が使われ出す)そのものもホーライと呼ばれるようになり,美術作品ではそれぞれの季節を象徴する持物とともに表現された。彼女たちはホメロスの叙事詩の中で天宮の門の番人と語られているほかは,アフロディテやディオニュソス等の神々の随伴者として登場する程度で,特別の神話はない。…
…正式名称〈劇団仲間〉),〈新人会〉(早野寿郎,小沢昭一ら),〈三期会〉(広渡(ひろわたり)常敏,熊井宏之ら。現,〈東京演劇アンサンブル〉)らの若手新劇団も結成され,浅利慶太ら慶応大学や東京大学の学生演劇出身者によって〈四季〉(正式名称は〈劇団四季〉)も活動を始めた。 そのほかにも多くの新劇団が創立され,活動するが,60年代後半になると近代写実演劇や既成劇団のあり方に対する疑義表明や異議申し立てが盛んになり,既成劇団の分裂が起こるとともに,いわゆる〈アングラ小劇団〉が輩出した。…
…村民のドイツ人とリトアニア人に説教を行うかたわら,ヘクサミター(六脚韻)で多くのリトアニア語の詩をつづった。死後,遺稿詩が発見され,ケーニヒスベルク大学教授レーザLudwig Rhesaによって1818年に代表作の叙事詩《四季Metai》がドイツ語訳を添えて発表されるや,内外の絶賛を浴び,たちまちリトアニア国民詩人の名を冠された。《四季》は〈春の歓び〉〈夏の仕事〉〈秋の恵み〉〈冬の災難〉の四部作からなる。…
…ロンドンに出てA.ポープをはじめとする一流の文人たちと交わり,1726年に《冬》と題する長詩を発表。その後はほぼ毎年《夏》《春》《秋》と書き足して,30年に《四季》が完成した。形式上からは,当時全盛の堅苦しい英雄対韻句(ヒロイック・カプレット)を捨てて,もっとのびやかなブランク・バース(無韻詩)を選び,内容的には自然の風物に深い愛情を惜しみなく注いだ点で,時代を大きく超えた作品であった。…
※「四季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」