高橋義彦(読み)タカハシ ヨシヒコ

20世紀日本人名事典 「高橋義彦」の解説

高橋 義彦
タカハシ ヨシヒコ

明治〜昭和期の郷土史家



生年
明治3年3月10日(1870年)

没年
昭和6(1931)年4月30日

出生地
新潟県蒲原郡保田村(現・北蒲原郡安田町)

旧姓(旧名)
旗野

経歴
明治21年に中蒲原郡松島村の高橋家の婿養子となり、29年に名を義彦と改める。のち郷土史家として新潟県史蹟名勝天然記念物調査会主幹や「新潟市史」編修顧問を務めたほか、兄で歴史地理学者である吉田東伍の「大日本地名辞書」の編纂にも協力。越後・佐渡両国に関する史料集の編纂を志し、歴史学者の渡辺世祐や布施秀治らの協力を得て編年体史料集「越佐史料」の編纂に着手、大正14年にその第1巻を刊行し昭和6年までに6巻を出すが、完成を見ることなく同年4月30日に死去

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋義彦」の解説

高橋義彦 たかはし-よしひこ

1870-1931 明治-昭和時代前期の郷土史家。
明治3年3月10日生まれ。吉田東伍の弟。新潟県史蹟名勝天然記念物調査会主幹,新潟市史編修顧問をつとめる。大正6年越後(えちご)・佐渡関係史料の編集計画。14年「越佐史料」として第1巻を刊行以来,昭和6年までに6巻を出版。同年4月30日,未完のまま死去した。62歳。越後(新潟県)出身旧姓は旗野。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高橋義彦の言及

【越佐史料】より

…越後,佐渡両国の編年史料集。新潟市大形の地主高橋義彦が兄の吉田東伍の志を継ぎ,東京帝国大学史料編纂掛の渡辺世祐,花見朔巳,布施秀治らの協力を得て編纂。《大日本史料》に範をとり,綱文をたて史料を配する。…

※「高橋義彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android