吉田東伍(読み)ヨシダトウゴ

デジタル大辞泉 「吉田東伍」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐とうご【吉田東伍】

[1864~1918]歴史地理学者。新潟の生まれ。独学歴史学者となり、のち早大教授。著「大日本地名辞書」「倒叙日本史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「吉田東伍」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐とうご【吉田東伍】

  1. 歴史地理学者。新潟県出身読売新聞に落後生の筆名史論を展開し、名をあげた。のち早稲田大学教授となり「大日本地名辞書」などを編纂。能楽の研究にも従事し、「世阿彌十六部集」を校訂。著に「倒叙日本史」など。元治元~大正七年(一八六四‐一九一八

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改訂新版 世界大百科事典 「吉田東伍」の意味・わかりやすい解説

吉田東伍 (よしだとうご)
生没年:1864-1918(元治1-大正7)

歴史地理学者。新潟県北蒲原郡保田村(現阿賀野市,旧安田町)に生まれる。旗野木七の三男,のち吉田家を継いだ。新潟英語学校に一時学んだほか,学校教育は全然受けず,独学で小学校教員となった。24歳のとき那珂通世の《年代考》を読み,史学のとりことなり,翌年から2年間北海道に身をひそめ,歴史地理の研究に没頭した。北海道から《史学雑誌》に寄稿した《古代半島興廃概考》が学者の注意を引き,読売新聞社から招かれて上京した。落後生という筆名で続々史論を発表し注目された。日清戦争に従軍して,このころから,日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き,独力で多くの困難と闘いながら,13年かかって《大日本地名辞書》11冊を完成した(1907)。原稿の厚さ5mに及ぶ質量とも古今未曾有の大地誌で,今日でも刊行されている。早稲田大学教授となり,のち同校理事を兼ねたが,学内の抗争に巻き込まれ,その疲労のため没した。

 歴史地理学のほか日本音楽史にも精通し,とくに能楽の造詣が深く,1908年《世子六十以後申楽談儀(ぜしろくじゆういごさるがくだんぎ)》(《申楽談儀》)を校訂,これが世阿弥伝書の発見につながる契機となった。09年,吉田が《花伝書》と命名した《風姿花伝》をはじめ,当時発見された世阿弥の著書16部を収めた《世阿弥十六部集》を校注,〈吉田本〉と呼ばれる。これは従来の観阿弥・世阿弥像を一新させ,近代能楽研究の出発点となった。ついで《禅竹集》を公刊。晩年は宴曲(早歌(そうが))研究に努め,東儀鉄笛(とうぎてつてき)の協力で宴曲再興を試み,私財を投じて《宴曲全集》(1917)を公刊して研究の基礎を築いた。
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20世紀日本人名事典 「吉田東伍」の解説

吉田 東伍
ヨシダ トウゴ

明治期の歴史地理学者 早稲田大学教授。



生年
元治1年4月14日(1864年)

没年
大正7(1918)年1月22日

出生地
越後国蒲原郡保田村(新潟県北蒲原郡安田町)

旧姓(旧名)
旗野

別名
号=落後生

学歴〔年〕
新潟学校中等部中退

学位〔年〕
文学博士〔明治42年〕

経歴
小学校教員、北海道庁書記をしながら、ほとんど独学で史学を学び、田口卯吉の主宰する「史海」へ投稿。明治24年より落後生の号で「読売新聞」に史論を発表、注目された。27年日清戦争に従軍、この頃から地名変遷の研究に没頭。34年東京専門学校講師、35年早稲田大学講師、40年教授に就任。同年に独力で完成させた「大日本地名辞書」(全11冊)は不朽の名著とされる。人文地理学会を創立し主宰。また、能楽にも造詣が深く「世阿弥十六部集」の校訂刊行を行い、近代能楽研究に寄与した。他の著書に「日韓古史断」「徳川政教考」「維新史八講」「倒叙日本史」(全12巻)「利根川治水論考」「日本歴史地理之研究」など。平成9年新潟県安田町に地名に関する文献や地図などを集めた研究施設、吉田東伍記念博物館が完成。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田東伍」の意味・わかりやすい解説

吉田東伍
よしだとうご
(1864―1918)

明治・大正期の歴史学者。文学博士。元治(げんじ)元年4月10日越後(えちご)国(新潟県)北蒲原(きたかんばら)郡保田(やすだ)町(現阿賀野(あがの)市)に生まれる。新潟学校中学部を中退後、独学。小学校教員ののち、一時北海道に渡ったが、1891年(明治24)上京して『読売新聞』記者となった。記者のかたわら『日韓古史断』『徳川政教考』を出版し、歴史家としての地位を固めた。1901年(明治34)東京専門学校(翌年早稲田(わせだ)大学と改称)文学部史学科講師となり、以後、国史、日本地誌、明治史、日本地理を担当した。『大日本地名辞書』(初版全11冊・1900~07、続篇(へん)1909)が代表著作で、ほかに『庄園(しょうえん)制度之大要』『倒叙日本史』『能楽古典世阿弥(ぜあみ)十六部集』などがあり、社会経済史、生活史や通史叙述の先駆者の一人となった。早稲田大学教授となったのち、さらに維持員、理事に就任したが、大正7年1月22日尿毒症のため急逝した。

[佐藤能丸]

『永原慶二・鹿野政直編著『日本の歴史家』(1976・日本評論社)』


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朝日日本歴史人物事典 「吉田東伍」の解説

吉田東伍

没年:大正7.1.22(1918)
生年:元治1.4.10(1864.5.15)
明治大正期の先駆的な歴史学・歴史地理学者。4月14日誕生説もある。越後(新潟県)蒲原郡の旗野家の3男に生まれ,小学校卒業後,小学校教員になり,大鹿新田(新津市)の吉田家の養子となった。この間北海道に渡り,読書に励んだ成果などを新聞・雑誌に「落後生」などの筆名で投稿,特に『史海』への投書論考は,主筆田口卯吉の注目をひき,学界への登竜門となった。また親戚の市島謙吉に紹介され「徳川政教考」を『読売新聞』に連載し,日清戦争に記者として従軍。また『日韓古史断』を書いて,学界での地位を固めた。その研究は日本歴史の全分野にわたり,歴史地理学の分野で『大日本地名辞書』(全11冊),『日本読史地図』などが先鞭をつけている。社会経済史の分野では『庄園制度之大要』が,近代史の分野では『維新史八講』があり,現代より過去にさかのぼるという歴史的視野の問題を含む通史『倒叙日本史』(全12巻)もある。また『世阿弥十六部集』の発見は学界を刺激した。『海の歴史』『利根川治水論考』や,論文集『日本歴史地理之研究』の問題提起は今日でも注目される。<参考文献>高橋源一郎編『吉田東伍博士追懐録』

(松島榮一)

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百科事典マイペディア 「吉田東伍」の意味・わかりやすい解説

吉田東伍【よしだとうご】

歴史学者。越後(えちご)国蒲原(かんばら)郡の生れ。小学校教員,新聞記者をしながら独学。1893年《日韓古史断》《徳川政教考》で学者として立った。のち早大教授。日本歴史地理学会を創設し,《大日本地名辞書》(1900年―1907年)を完成。能楽にも造詣深く,《能楽古典世阿弥十六部集》を校訂刊行。
→関連項目世阿弥十六部集南北朝正閏問題

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田東伍」の意味・わかりやすい解説

吉田東伍
よしだとうご

[生]元治1(1864).新潟
[没]1918.1.23. 東京
歴史学者。旗野木七の3男。教員,読売新聞記者のかたわら歴史学を修め,1901年東京専門学校講師,次いで早稲田大学教授となった。その間歴史地理学会を創立し,1900~07年『大日本地名辞書』を,09年続編を編纂刊行。一方能楽を研究し『世阿弥十六部集』を校訂刊行した。主著『徳川政教考』 (1893) ,『維新史八講』『倒叙日本史』。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉田東伍」の解説

吉田東伍
よしだとうご

1864.4.14~1918.1.22

明治・大正期の歴史地理学者。日本の歴史地理学の草分け的存在。越後国生れ。独学で郷里の新潟県北蒲原郡安田町の小学校教員になる。のち北海道へわたって鮭漁業に従事したが,その間も独学で研究を続けた。1891年(明治24)北海道からの投稿論文が歴史学界で認められた。その後,読売新聞社をへて,東京専門学校講師,早稲田大学史学科教授を歴任。著書「大日本地名辞書」。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田東伍」の解説

吉田東伍 よしだ-とうご

1864-1918 明治-大正時代の歴史地理学者。
元治(げんじ)元年4月14日生まれ。独学で歴史学をおさめ,明治25年から落後生の筆名で「読売新聞」に史論を発表。十数年をかけて「大日本地名辞書」をあらわす。能楽の研究もすすめ「世阿弥(ぜあみ)十六部集」を校訂,刊行した。44年早大教授。大正7年1月22日死去。55歳。越後(えちご)(新潟県)出身。旧姓は旗野。

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367日誕生日大事典 「吉田東伍」の解説

吉田 東伍 (よしだ とうご)

生年月日:1864年4月10日
明治時代の歴史地理学者。早稲田大学教授
1918年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉田東伍の言及

【花伝書】より

世阿弥が父観阿弥の遺訓に基づいてまとめた最初の能楽論。正しい書名は《風姿花伝》あるいは《花伝》であるが,1909年吉田東伍によって翻刻されたいわゆる吉田本が《花伝書》と命名して以来,この名で知られている。ただし,本来,〈花伝書〉とは室町末期以来の能伝書一般あるいは華道の伝書を意味した呼称であり,また世阿弥の遺著に仮託されてきた《八帖花伝書》の題名でもあって,それを吉田本が本書に転用したのは必ずしも妥当な処置とはいえない。…

【風姿花伝】より

…世阿弥後年の能楽論はそのほとんどが本書の説に胚胎(はいたい)しており,数ある世阿弥伝書中,最も基本的,かつ代表的著作と評してよい。1909年,吉田東伍により,初めて翻刻・公刊された。【中村 格】。…

※「吉田東伍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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