日本の城がわかる事典 「高水寺城」の解説 こうすいじじょう【高水寺城】 岩手県紫波(しわ)郡紫波町の北上川右岸の段丘に築かれた中世の山城(やまじろ)。奥州探題を務めた室町時代の名門、斯波(しば)氏の一族の居城である。斯波氏は足利氏の一族で、管領を務めた最有力の一門だが、足利尊氏の4代前の足利泰氏の長男家氏が陸奥国斯波郡へ下向して斯波氏を称したのがその始まりである。家氏は奥州下向後、古刹の高水寺の一郭を居館とした。その意味では、高水寺城は斯波氏発祥の地といってもよい。その後、1335年(建武2)、足利尊氏は一族の斯波高経(しばたかつね)の長子家長を奥州管領として下向させ、北朝方の勢力拡大を図ったが、その際、高水寺城は独立した城郭として築かれたのではないかといわれる。奥州斯波氏はこれ以降、現在の紫波郡や花巻市東部の66郷を領有して、この城を拠点に北の南部氏と勢力を争った。斯波氏の家格の高さから、その居城の高水寺城は「斯波御所」と称された。しかし、奥州斯波氏は内部対立抗争などによりしだいに衰え、1588年(天正16)に南部氏(南部信直)から攻められて滅亡した。その後、高水寺城は南部氏の属城となった。江戸時代の初め、南部氏第27代当主で盛岡藩の初代藩主の南部利直が盛岡城完成前の十数年あまり、この城を居城としていた。1667年(寛文7)、この城は廃城となり、その古材は焼失した盛岡城の本丸の再建に使われたと伝えられている。城跡は現在、城山公園となっている。JR東北本線紫波中央駅から車で約10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報